2009年9月21日月曜日

今人(いまじん)

『青春』
(原作:サミエル・ウルマン、邦訳:岡田義夫)

 青春とは人生のある期間を言うのではなく、心のようそう様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

 苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 歳は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。


怯懦(きょうだ) :臆病で意志の弱い様子
狐疑(こぎ)   :あれこれ疑問を抱いて決心がつかない様子
芥(あくた)   :ごみ・ちりの意
星辰(せいしん) :星の意。漢語的表現
欽仰(きんぎょう):うやまい仰ぐ意
剛毅(ごうき)  :気性が強く物事にくじけない意


多くの方はこのウルマンの詩の一節を耳にされたことがあると思いますが、全文を読まれた方は案外少ないかもしれません。

私は繰返し皆さんにこの邦訳も含めて格調高い詩をご紹介し続けようと思っているのですが、その理由は言うまでもなく、私たちの心の在り方の原点がそこにあるからです。

浜松医科大学名誉教授・高田明和氏の著書「脳から老化を止める」の中に次のような一節があります。「今まで神経細胞は生後は分裂・増殖しないとされていました。しかしそれは間違いだったのです。それどころか70才を超えた高齢の人の脳細胞も分裂することができるのです」これは米国サーク研究所のDr.エリクソンの実験から証明されたのです。

高田氏は著書の中で老化を防ぐ方法も書かれていますが、その中で私の心に強く残ったものは、「私は長い間“困ったことは起こらない。すべてうまくゆく”という言葉を繰り返し繰り返し自分に言い聞かせています。この同じ言葉を寝ながら繰り返すと眠くなるから不思議です。またそのように繰り返しながら寝て朝目が覚めると、非常に気分がいいので驚くことがあります」というものです。

これは私が普段から足法参加者の皆さんによくお話することですね。最近こういうお医者さんが西洋医学の分野でも少しずつ増えてきたことに私は大きな喜びを感じます。

病気の大部分が心身症と言われています。日頃気付かぬうちに抱え込んでいるストレスが大きく私たちの健康に影響しているわけです。常日頃からの心の在り方をもう一度自分自身で見つめ直してみてください。そして、もう一度、私たちは加齢と共に老いるのではなく、悲観的な態度が老いを招くのだと自らに言い聞かせていただきたいと願います。

恨み・つらみ・嫉み・そねみ、不平不満・愚痴・泣言・悪口・文句とは縁を切り、自分が心からワクワクすることを無邪気に楽しめる人は、例え高齢でも決して老人ではありません。何歳であろうと、まさに青春の真っ只中に生きる“今人”なのだと私は思います。

(2003年3月)

命と向きあう

先日、打ち合わせ先のロビーで少し待ち時間ができ、傍らのマガジンラックから何気なく一冊の「サライ」(小学館刊・3月20日号)を手にしました。昔から好きな雑誌の一つだったのですが、その中にある助産師のインタビュー記事が掲載されており、心魅かれるものがありましたので(出版社に問い合せた時点で在庫なし)抜粋して紹介します。足法習得を目指す皆さんの琴線に触れる部分も多々あるのではないでしょうか。

プロフィール:安保ゆきの(あぼ・ゆきの)明治44年、三重県生まれ。昭和8年、津市立病院付属看護婦養成所卒業後、名古屋鉄道病院に就職。外科の看護に12年携った後、結婚退職。昭和23年、安保助産所を開業。昭和62年、勲六等宝冠章受章。関連書籍に『ぬくもりの選択 安保助産所出産日記』(浅川千香子著)がある。

──誕生の瞬間はどんな気持ちですか。
「赤ん坊を取り上げるとき、私はいつも跪(ひざまず)いて両手で受け止めるんです。親でさえもまだ触れたことがない生まれたての赤ちゃんは、ご神体と同じ。気高くて、神々しい。それをこの手で受け止めるというのは、身が震える思いがする。助産師は、新しい命に仕えるの。その命を生む母胎に対しても同じで、とても失礼な気持ちではおれない。そもそもお産は病気とは違います。太古の昔から変わらない自然な営み。自然というのは待つことなんです。母親の体の状態と赤ん坊の元気、それが一致して初めてお産が進む。人間の意思によって、早めたり引き延ばしたりするもんじゃないと思っています。お産は一日のうちで実際に満潮時に一番多い。命は満潮に生まれ、やがて引き潮とともに終わっていくもの。自然に逆らって無理をしたら、お母さんの体に辛いところが残ったり、必ずどこかに歪みが出てくるからね。助産師は産婦に寄り添い、辛抱強く時が熟すのを待つ。陣痛促進剤、吸引器もメスも使いません。母子の持つ自然の力を信じて、最大限に引き出すお手伝いをするんです」

──助産師の手技は、奥深いものなんですね。
「産婦の体を傷つけないよう、なるべく楽に生めるように手を尽くすんです。いま病院では、赤ん坊を早く取り出すために、産道の出口を切開するのが当たり前になってますね。でも時間をかけて皮膚を温め、滑らかに保ってあげれば、充分に伸びて破けることもない。傷がない分、産後の回復はじつに早い。まあ助産師の仕事を10とすれば、こうした手技は2割ほどです。あとの8割は、精神的看護。妊産婦の心のケアが一番大事なの。あの陣痛は、女にとってこれほど辛いことはない。私も長男のお産のときは本当に辛かった。これは男には絶対に分からない苦しみやわ。どこの国の女性でも産婦はみんな、なりふりかまわず、“痛い、痛い”と叫びます」

──極限状態ですね。
「その苦しみに耐えるとき、年齢も学歴もきれいな服も、表面的なものは全部こそげ落とされて、産婦はみな三歳児に戻ってしまう。とにかく誰かそばにおって欲しいんですよ。でないと耐え切れない。涙を流して痛がる産婦に向かって、“痛いのはあんただけやないよ”なんて憎らしい言葉を吐く者がいたら、それは助産婦の資格はない。私たちは絶対に“ノー”と言ったらいかんのです」

──いつも、どんな言葉をかけますか。
「“ああ、痛いなあ。もうすぐやで。さあ深呼吸したら楽になるよ。おお、あんたはいきみが上手やで。だいぶ早いわ。ほれ、もうちょっと頑張りな。もうすぐ楽になるよ⋯”産婦の心の中に入って、産婦と同じ気持ちで話を交わすの。それが一番ええ薬。腰をさすってやりながら、励まして褒めてあげる。安心して緊張がほぐれれば、産道の収縮もよくなって楽になるから、お産が進むしね」

──望まれるのは、命そのものなんですね。
「8年前、大変な難産があったの。逆子でね。片方の足が一本出たきり、そこからどうにも進まない。この体勢で無理はできん。困り果てた。すると赤ん坊は、自分の力で体をググッとひねったんです。そしたらお尻がポッと出た。ところが今度は、後頭部の出っ張りが母親の恥骨に引っかかってつかえてしまった。この状態が続けば危険や。もしこの子に万一のことがあれば助産師をやめよう。腹の中で覚悟を決めたんです。時間が刻々と過ぎる。ああ、もはや万策尽きたか⋯。そのとき、ふっと声が聞こえた。〈耳の上には突起がない〉あっそうだ。恥骨にこめかみが当たるよう赤ん坊の体をひねった。すると後頭部の食い込みがはずれて、ぽんと出た。私はそのとき、1時間くらい経過したように感じたの。ところが、“いま、どんだけかかった”と助手に聞いてみたら、“10分です”と」

──優しいお子さんだったんですね。
「夏のある日のこと、樹の枝に蝉がいるのを見つけた。蝉は殻の背を割り、いままさに外へ出ようとしているところ。私は殻をきれいに剥いてやって、再び樹にとまらせたの。ところが翌朝、蝉の亡骸が樹の根元に落ちていた。ああ、死んどる。どうしたんかな⋯。それを母親に言うと、“生物が自分の力ですることを、何でそんないらんことした”と叱られた。自然の成り行きを見守り、じっと待つことかどれほど大事か。きっと神様が、子供の私に教えてくれたんやね」

──最近は、命を軽視した出来事が多いです。
「子宝は天からの授かりもの、とはよく言ったものです。尊い命を授けてくれた、目に見えない大いなる力の加護への感謝。そして生命への畏敬の念が込められた言葉ですね。ところが最近の若い夫婦は“子供を作る”という。そんな言葉の端っこには、母体に命が宿るところから、自分たちの意思で好きにできるという驕りが見え隠れしとる。芽生えた生命を、途中で摘むのも自分の勝手。命など、どうにでもなると思っていないか。人間が自由にできるのは、性行為だけです。命というのは、そんなもんと違うんよ。人間の欲望のまま、競うようにして精巧なロボットを作りあげたとて、魂はどうやって入れるのか。そこに何か後悔が残りはしないだろうか。そういう懸念を私は持ちます」

──倫理観が問われる時代ですね。
「命の始まりと終りは、決して人間の自由にならない。そこをしっかりと心得ないと。昔は自宅出産が普通だったでしょう。家族が見守る中でお産が行われ、年寄りは住み慣れた家で亡くなっていった。それを間近に見ることで、家族は命の尊さを学んだんです。ところが現代では、人は病院で生まれ、病院で死ぬ。家庭の中から、人の生死が姿を消した。何か、大きな忘れ物をしとる。人間は歳をとると、それまで当たり前だと思っていたことの不思議に気付くんです。十月十日でこの世に誕生する命、可愛い産声。自然と溢れ出るおっぱいを無心で口に含む乳飲み子。私には、そのすべてが神業に思える。私も92歳まで丈夫で仕事をやれていることを考えると、自分の体の細胞ひとつひとつに感謝しなくては。鏡に映るたび“よう働いてくれて、ありがとう”と言ってますよ。‖
                ●
安保さんはこのインタビューを通じて終始、“自然”であることの意味を問い質しています。私も足法を通じて、時間が経つほどに自然というものを強く意識するようになりました。私たちの命も、その自然の一部なのです。

しかし、その體の自然な働き、目に見えない細胞の自然な働きは、決して永久無限のものではありません。加齢とともに衰えます。しかし、自然に則り衰えることは、無秩序に壊れることとは違います。つまり、それは豊かな衰えなのです。ところが、手前勝手な健康求道者たちは、生命システムの深遠なる叡知に気付こうとはしません。だから病気になるとその部分だけを見つめ、命という全体には向き合わずに敵視してしまうのです。

ですから私は施療に際していつも、患者さんが「神の叡知と一体になれますように」と祈りますし、もっと別の表現で伝えたりもします。相手の方が、神の叡知を戴いて自らの命そのものに向き合われたとき、初めて私たちの力も届きやすくなるのです。

神の叡知(宇宙を創造した叡知)⋯。陽は昇り陽は沈み、四季は移ろい、命は生まれやがて滅す。叡知は新たな叡知を生み、すべては輪廻する。しかし、この仕組みを解き明かした人を私は知りません。それは語るものではなく、感じるものなのでしょう。壊れた人間を技術だけで治せるものなら、この長い人類の進化の中で、既に達成していたに違いありません。それができないところに人の命の意味と神秘さがあるのだと思います。

縁あって踏む人と踏まれる人が集いました。踏むとは、お互いの心と體が「富む」ことでもあるのです。足法の経験を積み重ねるほど、技術だけに頭が支配されることなく、もっともっと自らの感じる力に心の耳を傾けていただきたいと願っております。

人の體は、いつも声を発しています。それを施療する側と、される側の当人が共に聞き届けて共鳴し合うところから、命は本来の力を取り戻そうとし、寿命を全うしようとする、私にはそのように感じるのてす。

毎日、TVの戦争報道に登場するイスラムの自爆死。方や、暴飲暴食とストレスで病死していく先進国の人間たち。前者にとって死は幸福となり、後者にとっては耐え難い恐怖となります。しかし、私にはその二つの死に、安保さんの「命の始まりと終りは、決して人間の自由にならない」という言葉が重なります。カタチは違えども、両者は神から授かった寿命に、意識・無意識的に手を加えているように見えてならないからです。

(2003年4月)

大麦小豆二升五銭

8年程前に読んだ本(「一回限りの人生」清水榮一著、PHP出版)の文中に大変興味深い一節があり、今でもたまにフッと頭を過ることがあります。

昔、四国の丸亀に一人の老婆がおり、この老婆のマジナイが病気に良く効くということで大評判になったそうです。そのマジナイとは、「大麦小豆二升五銭/おおむぎ しょうず にしょう ごせん」というもので、このマジナイを三回唱えて病人の患部を擦ると、どんな病気もたちまち治ってしまったといいます。

しかし、この話には落ちがありまして、ある時その場に立ち寄った一人の僧侶がそのマジナイを聞いて、金鋼経にある「応無所住 而生其心/おうむしょじゅうにしょうごしん(応に住まる処無くして其心を生ず)」であることが分かったのです。

「住まる処が無い」というのは、心が一ヶ所、一つに留まって淀まないこと、執着しないこと、拘らないことであり、そこに「其心を生ず」、つまり無碍自在の心の働きが現われるという意味です。

私はこの話に触れて、お経の「読み方、音」についてそれまでの疑問がスッと消えていく思いがしたのです。お経は、もともとお釈迦様が説法されたとするものを、後々にまとめられたものですが、そのお経は当然インドの言語で書かれています。

玄奘三蔵法師をはじめ多くの僧侶が苦労の末、インドから中国へお経を持ち帰り、そこで中国語に翻訳されました。そして、直接的・間接的に日本に入り、私たちは現在日本語の発音でお経を読んでいます。

お経は原語・原音で読まなければ意味がないと強調する人もいますが、この「おおむぎ しょうず にしょう ごせん」の話を聞きますと、大事なことは音や文字そのものよりも、そこに託された意味をありのままに信じる気持ちなんだということが、私にはよく分かります。

大阪にある浄土宗洗心寺のご住職からも、かつてこれと似たお話を聞いたことがあります。無学な老婆がいたそうです。その老婆がご住職に「どうしたら成仏できるか」と尋ねました。ただひたすら無になって南無阿弥陀仏と唱えなさいと言うと、本当にそれからというもの毎日熱心に念仏を唱えたらしいのです。それ以来、ご住職が見るたびに彼女は仏様のような邪念のとれた美しい顔に変わり、やがて幸せに天寿を全うしたそうです。

その話に付け加えてご住職が私に優しい口調で言いました。「立派な肩書きをもっている人ほどダメですね。頭で考えすぎて肝心なものが見えないのです。その点、あのお婆さんは立派でした。私の言ったことを、ひたすら信じて念仏を唱えつづけましたからね」と。

神通力を得たという、かの久米の仙人ですら、小川のほとりで洗濯していた若い乙女の、裾をまくり上げたなまめかしい姿に欲心を起こし、天上界を飛翔中に下界を見て墜落してしまったという話があります。仙人でも囚われると失敗するのです。

足法を上手になりたい人はたくさんいますが、技術だけに執着していては限界を超えられません。会員証の裏にある「足法句」を繰り返し読んで心に焼き付けていただき、その意味するところに向かって精進して頂ければ、いつの日か必ず大きなエネルギーとなって、より嵩い自分へ還っていくと私は思っております。

(2003年3月)

2009年8月17日月曜日

健康法の幽霊

ここにひとつの健康法をご紹介します。まずはよく読んでみてください。

脳卒中で絶対に倒れない法
(鹿児島県国分市養護老人ホーム慶祥の資料より)

血圧は医薬品で簡単に下げることができますが、脳卒中で倒れない方法は、現代医学をもってしても、その予防法は、ないそうです。もし一度この発作にみまわれ、倒れたら軽重の差はあるにしても、再起の望みは断たれ、一生を植物人間として過さなければなれません。大変不幸なことです。しかし、予防の医薬品はないにしてもご安心ください。

『医薬』とはいえませんが、『脳卒中では絶対倒れない飲物』があります。
私はこの飲み物の医薬的成分を知らないし、文献もありませんが、数千人の人が試され、その多くが健在であり、健在であったという実験済みのものです。私はいまこそ勇気と自信をもっておすすめします。試みでなく本気でお飲みください。ただ一回だけの服用で一生を精一杯、生き抜いてくださることをお祈りします。合掌 (この文は、園長さんから頂いた資料のままです)

園長さんのお話
3年前にこの飲み物を、作って、当園50人のお年寄りに飲んで頂きましたが、その後、脳卒中は、1人もありません。信じる、信じないは、ご本人のお気持ちですが、飲んで害になる品物は入っていませんし、善意に解釈できる人はお試しになってはいかがでしょうか。

飲み物の作り方(1人分)
1.鶏卵         一個 卵白だけ使用   よく混ぜる
2.蕗(ふき)の葉の汁  小匙 3杯   
 ふきの葉20g(3〜4枚ぐらい)を細かくきざみ、すり鉢でよくすり潰
 し、それを布に包んで絞るとよい。 注意:つはぶきは不可
3.清酒 (焼酎は不可) 小匙 3杯
4.梅漬         一個 種を除いてすり潰す(土用干しした梅干は不可)

以上4点のものを、必ず番号順に器に入れて、よく混ぜて作る。入れては、よく混ぜ、次のものを、入れては、混ぜること。普通のコップに半分くらいの汁ができます。
この飲み物は、一生に一度、飲むだけでよいので、早急にお試し下さい。
梅漬け:青梅をよく布で拭いて、十分の一量(重さ)の食塩で漬けたもの。

私がこの健康法を入手したのは、今から20年ほど前のことと記憶しています。どこから、誰から入手したのかは残念ながらよく覚えていません。私の母が高血圧であったために、どこかで手に入れたのだと思います。

そもそもこの「絶対に脳卒中で倒れない法」が広まった理由は、今から20年程前に福岡市の小学校校長会で紹介されたのが切っ掛けらしく、誰かが参考文書の内容を要約したということで、鹿児島県国分市の養護老人ホーム慶祥園で実施していて、国分市や隼人方面で大変な評判になっており、慶祥園では大勢の人がこれを用い、そのことごとくが脳卒中に患わなかったという結果が得られた、という内容で構成されています。

実際に、この健康法を有名な鍼灸学校や個人の鍼灸師が紹介しています。そこで、私は直接ここにある慶祥園に電話取材してみました。あいにく園長さんは外出中とのことで、寮母の仮屋園(かやぞの)さんが取材に応じてくれました。私の質問に対して、当初やや戸惑われていた仮屋園さんから興味深いお話をお聞きしましたのでここにご紹介します。

慶祥園には一年を通じて私と同じような問い合わせの電話が今でも数多く寄せられるとのことで、遠くは海外からもあるそうです。聞いて驚いたのは、この慶祥園の園長さんがこの健康法を発表したという事実はないらしく、かつてこの園に住むある方が個人的にこの方法を実行されたようだという話を聞いたことがあるとのことでした。

実際、方法論そのものにはカラダに悪い要素もないらしく、そのまま何の問題もなく今日を迎えたということです。しかし、仮屋園さん曰く、当園はこの件に関してまったく関与しておらず、責任もとれないということで、私がこの取材の内容を私の教室で公表したいという申し出に対しては逆に好意的に受け止めていただけました。以前も、また現在も、慶祥園でこの方法を試されている方は“仮屋園さんの知るかぎり”誰もいないということです。

世の中が健康ブームと言われて久しくなりますが、このような話は決して珍しいことではありません。私も足法という健康法の指導に従事する者の端くれとして、いろいろな健康法が世に広まること自体はとてもよいことだと思いますが、根拠と実態の伴わない幽霊話が横行することにはある種の不安と戸惑いを禁じえません。

私は、ここにある健康法を否定しているのではありません。ひょっとしたら大変素晴らしいものかもしれないのです。それだけに私は是非とも実績や経緯などを詳しく知りたかったのです。何れにしても、情報が錯綜する時代に生きる私たちは、自らの感じる力を最大限に活用して事に臨む必要があると強く実感しています。すべての責任の所在は、最終的には個人にあるということを決して忘れてはならないでしょう。

(2003年2月)

地上の星

昨年の紅白で中島みゆきの歌った「地上の星」が、発売から3年を経てオリコンヒットチャートの第一位になったことをニュースで知った。私はこの楽曲をNHKの“プロジェクトX”という番組で初めて聴いた。中島みゆきの歌とは「時代」から始まってもう20年以上の付き合いがあるが、彼女の詞と曲は私の人生の折々に心に揺さぶりをもたらした。改めて「地上の星」の詞を書きだしてみたい。

 風の中のすばる
 砂の中の銀河
 みんな何処へ行った 
 見送られることもなく
 草原のペガサス
 街角のビーナス
 みんな何処へ行った
 見守られることもなく
 地上にある星は誰も覚えていない
 人は空ばかり見てる
 つばめよ高い空から
 教えてよ地上の星を
 つばめよ地上の星は
 今何処にあるのだろぅ

 崖の上のジュピター
 水底のシリウス
 みんな何処へ行った
 見守られることもなく
 名だたるものを追って
 輝くものを追って
 人は氷ばかり掴む

この歌を聞きながら、私は今という時代を改めて見回してみた。ニュースは連日のように凶悪犯罪や若者の暴力、公僕たちの不正や芸能スキャンダルを映し出す。それが時代柄、まるで常識であるかのような錯覚を見る者に与える。そして、ノーベル賞に選ばれた一人の無名なサラリーマンを、まるでアイドル並に追い掛け回し、無理矢理に英雄へと祭り上げていく。

一人の犯罪者をマスコミが一方的な視点で断罪するのと同じ手法で、一人のヒーローが仕立て上げられていく様に、そして、その報道にまるで我が事のように振り回される庶民の姿に、現代人の心の貧しさを感じずにはいられない。

私たちは今、心の在り方を見失ってしまったのだろうか。人間とは、醜くもあり美しくもある。弱くもあり強くもある。その証拠は私たちの身の回りに散在しているではないか。私たち人間は、間違っても画一的ではないのだ。

ところが、小学校に入ると同時にまるでクローン的な教育システムに子供たちを押し込め、大人たちが決めた“よい子”の価値観ですべてを評価しようとする。

そしてその子供たちが成長すると、その多くは世の常識から外れることを恐れ、人間にとって最も大切な創造性の欠片もない、かつての大人たちと同じ轍を踏み続ける。そんな大人たちが繰返し新たな社会人に対して、独創性や個性を求めるという茶番を私たちはいったいあと何年見続けることになるのだろうか。

渋谷でたむろっているヤンキーにも、新宿の浮浪者にも、組織の片隅に追いやられたオヤジにも、そして夫や子供たちのためだけに生きている普通の主婦の中にも、天才や哲学者、或いは傑物はいるのだ。

木下藤吉郎が現代に生きていたら、定年離婚の憂き目に遭うような、しょぼくれた男で終わっていたかもしれない。アインシュタインが今の日本に生まれていたら、おそらくいの一番に落ちこぼれの烙印を押されただろう。

これは私の勝手な想像であるが、あの田中さんが、もしもノーベル賞を受賞しなかったら、島津製作所は彼をいち役員にもしなかったのではないか。そんな思いを抱いてしまうほど、彼の受賞に対する会社側の対応は、すべてに渡って後手後手に映って見えた。

W・ブレイクの詩に次のようなものがある。

 一粒の砂に世界を 野の一輪の花に天を見たいのなら
 掌に無限を 一瞬に永遠をつかみなさい

この意味を私ふうに解釈すると、私たちが見たいときには目を閉じ、聞きたいときには耳を塞いでこそ、真の姿が現前するということ。現象に振り回されて真理を見失ってはならない。情報はひとつの価値観であって決して真実そのものではない。心の目、心の耳を通さなければ“地上の星”を発見することはなかなか難しい。

プロジェクトXを見て涙する老若男女は少なくないと聞く。もしそれが単なる現象ではなく人間性回復の兆しであるとすれば、この国の将来も捨てたものではないと思うのだが。

(2003年1月)

五右衛門君からの学び

2003年も当然の如く、明ければ過ぎゆく習わし通り18日を数えます。みなさんは、どのようなスタートを切られたことでしょうか。

私はと云いますと、1月6日に義父が亡くなりまして、私の家内が男なしの長女ということもあり、その助っ人に数日間バタバタとした日々を過ごしました。

8日に谷中の常在寺という日蓮宗のお寺で葬儀を行いましたが、そのときのエピソードをひとつ。と申しましても、葬儀のことではありません。家内の妹の長男(中学受験を目前に控えた)のことなのです。

この少年、常日頃から非常に元気が良いと云えば体裁はいいのですが、実は母親の言うことを聞かず、いつも暴れ放題にとっ散らかっているような子なのです。

この日も予想通り、母親や祖母、はたまた私の家内の言いつけなどどこ吹く風、シンと静まり返った寺に到着するなり、弟・妹にちょっかいを出し、その行為はどんどんエスカレートし、やがて襖をも破くかの大音響が境内に鳴り響いたのを聞いてついに母親は堪忍袋の緒が切れたのでしょう。スッと私たちの前から消えました。

やがて日蓮をも脅かすかの悪魔の宴は鳴りを潜めました。5分、そして10分、弟と妹はニコニコ顔で行き来するのですが、いっこうに主役の姿は見えない。

そこで私は厠に立つ振りをして隣の広間を覗いてみますと、まるで牢獄にぶち込まれた石川五右衛門のごとく胡座をかいたまま、青白い顏で俯いています。その横顔にかつての私自身を見る思いが⋯。

この話に必要な補足説明を加えますが、彼の弟は大変な秀才で、神戸では有名なH学園という進学塾のトップグループにいます。嘗てはこの五右衛門君もそこで将来(?)の地盤を固めるべく勉学に勤しんでいたのですが、聞くところによると日を追うごとに成績は落ち、やがて在籍するのも難しくなり、いまでは家庭教師をつけて中学進学を目指しているとのことであります。
もちろん義妹夫婦の気持ちも昨今の公立中学の荒れようを思えば分からぬではありません。親心でありましょう。我が腹を痛めて生んだ子であります。誰彼へだてなくみな可愛いに違いないのですが、可愛さ余ってついつい厳しくなるということは、どこの家庭でもよくあることです。
そんなとき、たまたま他の兄弟姉妹たちが良くできたりすると、どうしても一人浮き上がってしまったりするものです。この五右衛門君も、私の目から見てどうもそんな感じに映ったのであります。

そこで話を元に戻しますが、シュン太郎を決め込んでいる彼に話しかけてみました。
「どうした、元気がないじゃないか」
「・・・」
チラッと私を見たまま無視。「そうきたか」というわけで、この手のガキ、元へ、子供を得意とする私は作戦を変えまして、彼の好きな野球の話に振ってみたのであります。
「野球やってるか?」
おやっ、という顏で私を見上げた彼は少し考えてから「うん」と答えました。
(しめしめ⋯)「おまえどこ守ってんだ」
「⋯外野」
「打順は何番なんだよ」
「⋯三番」
「へーっ、スラッガーなんだ」
この言葉に心をくすぐられたようでありまして、所詮はガキ(元へ)子供、褒められるとすぐに目の色が変わるものであります。
「おまえどこのファンなんだ」
「べつにない」
「ノリ(近鉄の4番)のファンじゃなかったのか」
「うん、まあそうだけど⋯」
などとしばし野球談義を釣りエサに彼の體を観察しておりました。感じるものがありまして、この五右衛門君に「ちょっとなァ、おまえそこに立ってみろ」といって目の前に正対させまして、肩から腰、そして脚と注意深く観察してみました。

思った通り、小学6年生に相応しくない歪みがあります。そこで彼を伏臥、仰臥にしながら触れてみたのです。普通ならキァアキァア言ってくすぐったがるものなのですが、私が触れても静かにしています。

「くすぐったくないか?」と聞いても「うん」と答えます。
私は彼の體にくまなく触れてみて驚きました。脊柱の彎曲、骨盤の歪み、そして恐ろしいまでの筋肉硬直。脊柱の左右の筋肉がアンバランスに硬直し、また股関節も弾力を失っております。
ガッセキをさせて前屈させようとしても、この歳にしては考えられないほど左の股関節が硬くて開きません。本人も痛がります。

そこで約30分間、股関節と背中の筋肉を弛める施術を行いました。この歳の子は基本的に肉体的なポテンシャルが高いということもあり、弛むのも早いものがあります。
当初は「痛い、痛い」と云っていたのに、全体が弛むに連れて、大きく前屈もできるようになりました。

「おい、すごいじゃないか」と言いますと、
おもしろいもので、彼の表情が前にも益して明るくなります。この五右衛門君は、人一倍感受性の強い子なのでしょう。そのことが彼の體に触れてよく分かりました。このようなタイプの子供は、親のちょっとした態度や言動を敏感に受取り、悪くするとそれが大きなストレスになってしまうのです。しかも、それがトラウマにまで至ってしまうことも決して少なくありません。
彼と弟は一才違いで、弟は出産時に肩関節を脱臼し、しばらく大変な時期が続いたこともあって、その後も母親の目がどうしても弟の方へ向きがちであったのでしょう。五右衛門君からすると、母親を弟にとられた気分になったことは容易に想像できます。

そうした日々の積み重ねが今日の彼の性格形成に大きく影響していることは、私のこれまでの学びの中で理解できることなのです。

しかしながら、彼は母親が好きで、日頃から将来は僕がこうしてお母さんを幸せにしてあげるんだ、などと可愛いことも申している様子などから察しますと、やはり彼は母親とのスキンシップを心の底で渇望しているに違いありません。

私がお寺で彼とそんな交流があったことを具体的に知らなかった周りの人たちですが、帰宅してから妻が「敏くんの顔つきがなんか変わった」と言っていたことを考えますと、これは子供に限らず、人間はみな誰かに温かく見つめられ、ときには触れ合うことがいかに大切であるかを思い知らされます。

葬儀の翌日、神戸に帰る彼を訪れ、私はある品物をプレゼントしました。それは私が今から20年近く前に手に入れたバット。現巨人軍監督の原氏が当時使用していたものと同じモデルの硬式バットです。このバットには「シリアルNo.002」グリップの裏には「G8」と刻印されたもので、今では絶対といっていいほど手に入らない貴重品です。幸い私はこのバットを殆ど使わずに保管しており、極めて良好な状態にあったものです。

彼に手渡すときに、このバットを心から欲しいと思うかどうか、そして、そうでなければ渡さないよ、と言いました。すると彼は「すごく欲しい」と言いました。そこで私はひとつだけ約束して欲しいと彼に伝えました。それは、「かならず毎日100スイングすること。そしてバットを大切に扱うこと」。彼は珍しくキリッとした顏で頷き嬉しそうにバットを握りしめました。
その後、私が嘗て教えられた通りに彼にバットスイングを教えたのですが、無心にバットを振る彼の表情は、寺の広間でひとりシュン太郎を決め込んでいたときとは別人のようでした。

私も子供の頃は落ち着きがなく、よくできる姉に反発して親をいつも困らせていたものです。小学校3年生の通信簿には「万事不熱心」などという親が卒倒するような評価を頂戴したりして、それこそできの悪いガキの見本みたいなものだったのです。私の姉は「あの時のあなたを見ていて、将来とてもまともな人間になるとは思わなかった」と今でも申します。この五右衛門君などは当時の私なんかと比較しますと、まだまだ良い子の許容範囲に十分はいるのであります。

そんな私が何がキッカケで娑婆で暮らせるような人間になったかはまた別の機会があればお話するとして、人間は抱きしめられた数だけ、見つめられた数だけ、活き活きとするものであります。人を見返してやりたいという思いも、結局は注目してほしいからであり、認めてもらいたいからであります。

たった二日の間に、五右衛門君の表情はかくも変わりました。相手が無邪気な子供であったこともその要因のひとつではありますが、私たち人間はみな、すべからくその素質を有していることは明らかなのです。

昨今の政治家や官僚を筆頭とした数々の不祥事を見るにつけ、その成長の過程がいかなるものであったかが容易に想像できます。

大人になると親のような眼差しで導いてくれる人は少なくなります。しかし、自らの成長、自己改革に対する興味と発心があれば、機会は自ずと現われるものであります。その一助・一機会に足法自然塾がなれましたら、そこはかとなく幸せであります。

私の2003年は、この五右衛門君からの学びで始まりました。感謝です。

(2003年1月)

2009年7月26日日曜日

すでにある幸せ

2002年も残すところあと僅かとなりました。みなさんはこの一年をどのようにお過ごしになりましたか。満足のいく一年でしたでしょうか、それとも後悔を残した一年でしたでしょうか。

私にとりましては、悲喜交々いろいろありましたが、日々を楽しくという普段の思いを大切にできた一年だったと感じています。もちろん思うようにならないこともありましたが、そんな時にも、次につながるヒントが得られたと喜んでいます。

ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さんの著書「愛をこめて生きる」のなかに次のよう一節があります。

『このかけがいのない一日を、不平や不満で埋めるのではなく、ありがたいものとして生きるとき、そこには、ささやかな幸せが生まれてくる。そのためには、自分の身のまわりに既にある“有り難いもの”に気づいて生きたい。日の出にも日の入りにも、中天にかかる月にも星空にも、さえずる小鳥にも一本の草花にも、感謝して生きたいものである。何十年に一度しか現われない星には大騒ぎしても、毎夜またたく星空には感激するどころか、いっこうに見上げようともしない、そんな心に私たちはいつしかなってしまった』

私のまわりには不平・不満を抱える人たちがたくさんいます。かく言う私もかつてはその一人でしたし、今でも時として頭を過ることがありますが、その留まる時間は以前に比べて驚くほど短くなりました。人間の一生を考えたとき、そのようなものに関わっている時間がもったいないと思うからです。

私はいま置かれている自らの立場の関係で、いろいろな方とお話する機会があります。病気の相談だけでなく、他の悩みをお聞きすることもあります。そのひとつひとつが各人にとっては切実であり、改善を心から願っていることが伝わってきます。

そうした方々に対して、私はただただ拝聴することしかできないのですが、ひとつだけ必ず申し上げることがあります。それは「問題の原因を相手だけに押し付けていては答えは出ない」ということです。

その反応には概ね二種類あり、「そんなこと分かってる」というものと、「え、何で私がっ!」というものです。この二つの反応、一見異なっているように見えますが、自分自身を問題の主人公に据えていないということに於て、実は同じなのです。

世の中には一個人の責任とはまったく無関係な出来事もあります。しかし、私が目にするケースの殆どは「私と誰か、私と何か」の関係から生まれた問題なのです。

問題の原因の主人公を自分にすることは決して容易なことではありません。しかし、相手にだけ押し付けていても解決は得られません。私にも非はあるかもしれない、でも相手の方がもっと悪いと思えるときにこそ、まず自分自身を省み、その中から僅かでも自らの至らなさを発見できたとき、その私は本当の意味で問題解決の糸口を発見できたのだと思いますし、“有り難いもの”に気付く心を宿す準備ができたのだと思います。

渡辺さんはこう続けています——『盗っ人にも、火事にも奪われ失われる心配のない宝、他人のそれと比べる必要のない自分固有の宝、平凡な生活の中で光彩を放つ宝、それは、当り前を輝いて見える、自分の“まなざし”であり、すべてを有り難いものとしていただく自分の“心”であろう。人間の幸せは、結局、その人の生活の中に愛するものがあるか否か、宝とするものがあるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。真の愛とは、誰もが愛せるものを愛することではなくて、誰からも顧みられない、価値なきかに思えるものに注がれる愛である』と。

私の父が亡くなる一年ほど前、私はこんな質問をしました。「お父さん、ここまで生きてきて、いまこうした生活の中でどんな心境ですか」と。この質問にたいして父は、「雨風しのげて、三食いただけて、なんの不満があるか」という短い言葉を吐きながら、その目がとても澄んでいたのをよく覚えています。

会社という組織を飛び出し足掛け5年になろとするいま、両親から数えきれないほど与えていただいた示唆のなかでも、この父の言葉は、とりわけ大きな輝を放ちながらいまの私に迫ってきます。

傷つき、苦しみ、泣きながら、その中に捨てる勇気を持てたとき、私たちは初めて“有り難いもの”“すでにある幸せ”に心が向けられるのかもしれません。

2003年、みなさんが“すでにある幸せ”に包まれますよう、心よりお祈り致します。今年一年、ありがとうございました。

2002年12月

主に明け渡したとき、病がいやされた

横浜の延川さんは、太平洋戦争中、ニューギニヤ西部のマノクワリにいた。多くの兵士が、激戦と食糧不足、また過労に倒れ、マラリヤの高熱に苦しんだ。

延川さんも、この苦しみの中で、それまで持っていた信仰を捨てた。彼は思った。「神もへちまもあるものか。どうにでもなれ。物質こそすべてだ。米軍を見ろ。あれだけの物量があるからこそ勝てるのだ。これからは唯物主義だ」。

それまで真面目だった彼なのに、以来、部隊の食糧を盗んだり、酒・タバコをやるようになった。みんなから悪く言われるようになった。しかし彼は信仰放棄後、ますます健康を害し、悪性の吹き出物が全身にできるようになった。熱帯潰瘍と言われるものである。また、彼のマラリヤは慢性になった。二週間たって、彼の命は今日か明日までと思われるほどになっていた。

その病床で、彼の魂の奥底に「絶えず祈れ」との御言葉が響いた。彼はハッと我にかえり、息の続く限り祈る決心をした。体力は消耗の極に達している。しかし不思議に、祈ることだけはできた。今までの不信仰、神への忘恩、そのほか数々の自分の罪が、ありありと心の中に示された。彼は祈った。「神よ、赦したまえ。もし生きることが許されるなら、今度こそ、本当にあなたのために生きます」。

彼の心の中に、恵み深い神が宿られた。その時からのことである。彼は相次いで排尿をし、それとともに全身の吹き出物がひき始めた。 一夜にして、吹き出物は完全になくなってしまった。夜明けとともに、皆が驚きの目で見つめたのは言うまでもない。それから二カ月ほどで、マラリヤも完全に癒された。医者は言った。「まったく奇跡だ」。
              ●
この文章はWeb中の「人生成功の秘訣」の中で紹介されたものです。私たちはこのような例をこれまでに耳にしたことがない人の方が少ないと思います。しかし、実感できる人もまた少ないのではないでしょうか。医者が言ったように「奇跡だ」で終わってしまいます。しかし、それは間違いです。私たちの思いは『神=大いなる力』と繋がっています。

私自身が27才のある秋の夜に、突然天空から降り注いできた光の矢によって救われた経験があります。また、29才の時には就寝したと同時「母が死ぬ」という天の声を聞きました。因に私は無宗教でしたし、また宗教や信仰に対する造詣もまったくありませんでした。しかし救われたのです。

両親の死後、私は日々祈るようになりました。にも関わらず、光は天空から降り注いではきません。その代わり、日々をよりよく生きるための直感力が向上しました。仕事を捨てたら足法がやってきたこともそのひとつなのでしょう。

祈り(=想い)は行動を生み、行動が習慣となり、習慣が人格を育て、人格が人生を実らせてくれます。人間、最後は祈りだ、ではなく、その究極の行動を日常にしましょう。そこに絶大な力が宿るのです。

2002年11月

チャンスの女神

みなさんよくご存知の表現に「チャンスの女神に後ろ髪はない」というのがあります。チャンスって滅多に来ないのだから、目の前に来たらしっかり掴まえないと、通り過ぎた後に思い直して掴もうとしても、掴む後ろ髪はないと云うものですが、果たしてこれは本当でしょうか。

しかもこの表現、云う側は解りやすいと思って用いるのでしょうが、よくよく考えてみると、実は解ったようで解らない表現です。さらに脅迫的で、失敗は許されないぞッ、という恐さも感じます。にも関わらず、意外と解った気でいる人が多くはないでしょうか。

チャンスって本当に一度逃がしてしまったらもう二度と訪れないものなのでしょうか? これまでの人生で、あなたはそうでしたか? もしもこの人と結婚していなかったら⋯、あの時あの人の云うことを聞いていたら⋯、あの時あれをしていたら⋯etc、こんな苦労は、失敗はしなくて済んだかもしれない、と考えれば切りがないわけですが、私が思うに、その後もきっと何度も同じようなチャンスはあったはずなのです。と言うより、私たちはチャンスの中に埋まって生きていると思えてなりません。ただ、そのチャンスに気付かないだけではないかと。

白隠禅師の座禅和讃に「⋯衆生近きを知らずして、遠くを求むるはかなさよ。例えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず⋯」という一節があります。

私たちそのものが既に仏であるのに、そのことには誰も気が付かない。それはまるで、水の中にいて喉が渇いたと文句を言ったり、裕福な家に生まれたのに家を飛び出し貧乏に喘ぐ姿に等しい、という意味です。

常々、私はこの和讃を読みながら、いろんなチャンスの中に埋もれているのに、強く手を伸ばせば届くのに、いつも自分は不運だとか、ちっとも恵まれないとか、悪いことばかり起こるとか、そんな愚痴や文句ばかり言っている私たちの姿そのものを見る思いがしてならないのです。
私は近頃、誰彼なしに云うこと⋯。それは、既成概念を取っ払って、素の自分で感じ、その感じを通して世の中を見渡してみようと。世間体や常識と云ったものすべてを一度頭の中から追い出して、そして改めて自分の周りを見渡してみようと。

そんなこと難しくてできない、という人が大勢いますが、その難しいということもまた既成概念なんですね。

そこで私が実践している方法は、“自分”が何をしたら楽しいか、“自分”はどんなことにウキウキ・ワクワクするか、今現在、自分を取り巻くすべての条件を無視して心の赴くままに考えることです。ああだから出来ない、こうだから無理、そんなことは取り敢ず横に置いておいて、どんどんイメージを膨らませてみるのです。子供の頃の夢や希望に日々満ち溢れていたあの時の自分に帰って、あれこれ好きに思いを巡らします。

人間は、良くも悪くも同じようなことが3回起こるとパターン化され、感情・思考・行動に影響し、自らの人生脚本を作っていくと云われています。とくに悪いイメージはより強く潜在意識に働き掛けると云われています。
例えば両親の喧嘩の原因が自分だという思いが子供心にパターン化されますと、いつしか自分なんかいなくなればいいんだとか、自分は誰からも好かれていないんだ、という自分を作り上げます。本当はそうではないのに、一度潜在意識に擦り込まれたネガティヴパターンは運命そのものへ影響します。

恐いですね。だからこそ、私たちは既成概念を捨てて、素の自分を取り戻すことに意味があるのです。損か得かで動くことをなるべく少なくし、ウキウキ、ワクワク“自分”の心の欲する方向へ自然に一歩を踏み出してみる。するとある時、これまでは目に入らなかったステージの幕が突然上がり、そこにはチャンスの女神に手を携えられた自分の、いろんな可能性に満ち溢れ、人生を活き活きと生きている姿が映し出されているはずです。

チャンスは無限にあります。何度も訪れます。ところが、自我や既成概念に雁字搦めになって気付けないとしたら、一度限りの人生で、余りにも惜しいとは思いませんか。

2002年9月

2009年5月5日火曜日

なせば成る

なせば成る、なさねば成らぬ何事も、ナセルはアラブの大統領、なんて古い漫談のネタがありましたが、この歌を正しく表記しますと次のようになります。『なせば成る、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の、なさぬなりけり』。

これは江戸時代に作られたものと言われており、その後、今日までずっと謳い継がれてきたしんげん箴言(戒め、教訓の意)です。

この歌が江戸時代に作られたと知って私が改めて思ったことは、太古より人間の在り方はまったく変わらないということです。

むしろ昔の方が、私たち人間は、より本質的な考え方や生き方をしていたからこそ、このような歌が生まれたのだろうと思うのです。以前、皆さんにご紹介した、鴨長明の方丈記もまた然りですね。

この歌のキーワードは「なす」。しかし、「なす」という行為の前に私たちは「思い」をもちます。その思いがあって初めて具体的な行為に表すことができるのです。

これも以前に私が皆さんにお伝えしたことですが、『思いの種を蒔いて行動を刈り取り、行動の種を蒔いて習慣を刈り取る。習慣の種を蒔いて人格を刈り取り、人格の種を蒔いて人生を借りとる』という西洋の格言。やはりここにも「思い」と行動の関係が謳われています。

私たちの行動はすべて「思い」の上に成り立っていることが分かります。ここで記憶術のオーソリティ、七田まこと眞氏が彼の研究を通して次のような興味深い発言をされていますのでご紹介します。

「右能の開き方はいろいろありますが、深い学習回路を開く方法にしかんあんしょう只管暗唱があります。1日に何十回となく声を出して暗唱を続けると開けるという頭の秘密があるのです。明治〜大正の頃、千葉県に山崎べんね弁栄という僧侶がいました。彼は本をパラパラと二三度めくっただけで内容をすべて理解し記憶した人でした。彼が21〜2才の頃、朝から晩まで念仏三昧に明け暮れました。そこから、人知れぬ不思議な能力が開けたといいます。ある時、長年どうしても治らない難病の婦人から治療法を聞かれたとき、一心に念仏を唱えなさいと教えました。すると、婦人の難病は数日で消えました。念仏には深い学習回路が開くだけでなく、深層の不思議な治癒力を引きだす力もあるのです」

ここで言う念仏とは、ひとつのワードや文章を意味し、それを無心に繰返し唱えること、つまり潜在意識に植え付けることによって、思いが現実のものになってしまうことを実例を挙げて氏は説明しています。

瞑想法のひとつに真言を唱えながら行うものがありますが、これもまた私たちの深層心理に潜む力を引き出そうとする手法なんですね。

私たちが「成す」ために、まず「なさ」なければならないわけですが、そこには「思い」という大切な要素があることを是非再確認してください。「氣が出た」と思って手をかざすと氣はでると私は言いました。しかし、その思いを疑ってかかる人はいつまでも氣はでません。あなたが成したいことは、まさに、なせば成るのですから、そのためにも、日々よい思いを抱いて、実現に向かって「なし」てください。

2002年5月

出逢い

足法を通じて、今日ここに、このように見知らぬ人たちが集っていますが、この広い日本の中で、いや世界の中で、因りによって集ったことは、果たして単なる偶然でしょうか。私はそういう考え方には立っていません。私と皆さんは、大いなる力、偉大なる叡智の導きによって、ここに出逢うことになったのだと思えてならないのです。

私もまた足法をみなさんにご指導させていただくまでに、必然的な出逢いが幾つもあり、その上で今日という日を迎えています。

これは私にとりましても、また皆さんにとりましても好機であるわけでして、この好機を明日からの暮らしの中で活かすことができるか否かが一人ひとりにとっては大変重要な意味をもつことになります。

かねがね私が皆さんに申し上げてきたことは、私は私の役目としてみなさんに足法をご指導しているにすぎないということです。まずなによりも、誰よりも私は足法という整体法が好きで、またその効果を高く評価し、惹かれ、追求・研究・実践している人間なのです。

これまで私は足法を通していろいろな人と出逢ってきましたが、中にはこんなタイプの人がいます。せっかく足法を学ぶ機会を得たにも関わらず、ちっとも楽しそうでなく、逆に不愉快にやっておられる。顏には、こんなことをやって果たしてどれほどの効果があるのやら??? と書いてある。また、ずっと足法を習っておられる方で、こんな症状なんだけれどもちっとも良くならない。何か良い方法はないか。

そうした人々に触れるたびに、人間の猜疑心の深さと依存心の強さに愕然とします。そのような方は、何に相対しても、まるで賭けでもするがごとく、「ほんとうに効くの?」というような姿勢で臨みます。

このような方たちは、多くの場合、あちこちの健康法に首を突っ込んでは効果のなさを相手のせいにし、自分の不幸を嘆き落胆するという共通点を見て取ることができます。

身体が痛い、しんどい、死んでしまいたいほど苦しい、そうした状況にある人は、もう藁をも掴む気持ちで治療者や治療法を追い求めているわけです。その気持ちはよく分かりますが、だからこそ、ひとつひとつの出逢いを疎かにするのではなく、そこには深遠な意味があり、天が与えてくれた好機なのだと受け止め、そして信じて継続していただきたいのです。禅病に罹ったかの名僧・白隠禅師ですら、その克服には年月を要したのです。

焦らず、怖れず、怒らずに、ひと足・ひと足、喜びと希望と祈りを込めて踏み、そして踏まれていただきたいと願っています。そのような姿勢は、間違いなく私たちに宿る自然治癒力を高め、細胞に活力を与えてくれます。健康は自らが勝ち得るもの、という考え方の根本がここにあると私は考えています。

2002年4月

2009年4月28日火曜日

眼横鼻直

私たちがこの世にオギャーと生まれて以来、必ずついて回るものが人間関係である。親子の関係から友達、学校、社会と、徐々にその枠は広がっていく。

そして、多くの人が多かれ少なかれ人間関係に悩み、苦しみ、自信を失い、会社を辞めたり、離婚したり、最悪の場合は自らの命を断ったりすることもある。

他人との関係を断つために、人里離れた山中で一人で暮らすことも考えられなくはないが、そんな人が増えれば、これまたその山中での人間関係が新たに生まれる。笑ってられない話である。

つまり、生きている限り人間関係だけは私たちが断って断つことのできないもののひとつなのだ。

ならば、むしろ人間関係を逃れるというような難しいことを考えるよりも、今いる中での上手な生き方を求めたほうがより生産的だと私は思う。

いろいろな記述を読んでみても、また、その道の専門家の指南に耳を傾けてみても、さらには昔からの「バカは風邪を引かない」手の比喩のように、神経の太い人、物事に大らかな人、小さなことにクヨクヨしない人は病気に罹りにくいと言われている。

それはなぜか?上記のタイプの人にはある共通点がある。それは、自分に対する悪いイメージを持ちにくいということだ。さてここで、私が皆さんとの対話の中でよく口にする“イメージ”という言葉を思い出していただきたい。このイメージが実は私たちの人生を大きく左右する鍵になっているのだ。

被害妄想気味の人、懐疑心や猜疑心、さらには嫉妬心の強い人は、知らぬ間に不幸な自分の姿をイメージしている。いいことが目の前に起こっていても、その次には悪いことが起こるのではないかと心配している。心配は期待という心理状態でもあるのだ。大らかで楽観的な人は、いま悪いことが起こっていても、いつかは終わる、次はきっといいことがあるはずだ、これも勉強、といった明るい発想になることが多い。そして、その結果どおりの自分を実現しているのが私たちなのだ。

名前は忘れたが、確かある数学者か宇宙物理学者が言った言葉だと記憶している。「人の一生(喜び、悲しみ、幸不幸)を積分すると、みな同じ」 さらに、「夜空を見上げよう。そこには宇宙から見た公平さがある。空の星のむこうで、同じようにこちらを見ているかもしれない。向こうから見れば、今私が見ている星と同じように、私たちの地球を見ているのだ。そうやって眺めれば、いかにこの地上で行われている争いが無益で無意味なものかがわかるだろう」

積分の意味を一言に集約するのは難しいが、とりあえず一定の公式から割り出された面積(=量)としておこう。上記の学者の表現は、この地球に生を受けた私たちが忘れていた摂理を示しているとは思えないだろうか。そしてまた、地球の向こうから私たちと同じような生物が、こちらを見ているかもしれないと考えたら、確かに生命ある“人間”として馬鹿げた戦いや争いなどに時間を割いている場合ではないと思う。

私たちは選んで(選ばれてという見方もできるが)この世に生まれた。そして、いま私たちの目の前で起こっていることは、すべて私たちが成長するための気づきなのだ。そう考えて日々の暮らしに取り組むと、自らの心の在り方に少しは新たな想いが生まれるのではないだろうか。

人間は誰しも手前勝手だ。自ら気づかぬままに自分中心の発想や行動を繰り返してる。そんな自分に気づく機会を与えてくれているのが人間関係なのだ。自分以外の人間の醜い行動は、単にその人のものではなく、そのことを通じて自らの内に潜む醜さを学ぶ手本なのだ。あなたがいまムカツク、腹が立つ、許せない人を思いだしてみてほしい。そしてその人との関係が生まれる以前の自分も同時に思いだしてみよう。その二人の自分を比較したとき、確実に後の自分の方が成長しているとは思わないだろうか。

人間関係の極意は、相手の評価を怖れぬことだと私は考えている。なぜなら、あらゆる摩擦は、必ず人間としての経験値=人間力を向上させてくれるからだ。

大切なことは、この世に生まれた以上、対人関係は自らを向上・成長させるための義務教育の場であると悟り、不幸な人間関係をもプラスに受けとめてそこから学んで初めて次の豊かな人間関係が生まれるのだと達観することだ。それが仏教で云う『眼横鼻直』、つまり、あるがままの自分になれることだと私は思う。

2002年3月

波と海

人前では強気でいたり、前向きだったり、とても明るく振る舞っているのに、本当は自分に自信がなく、劣等感にさいな苛まれている、そんな人が実に多い。もっと自分を褒めてあげよう、もっと自分を認めてあげようと、頭では解っていても、潜在意識下では自分に自信が持てず、勝手に自らの限界を決めてしまっている。

人前とは裏腹に、一人になるといつも何かを怖れている。お金がない、借金がある、自分の家がない、会社での地位が低い、リストラされた、学歴がない、信じていた人に裏切られた、誰かにいじ苛められている、重い病気を患っている、ハンディキャップをもって生まれた、差別されている、離婚した、嫁姑とうまくいかない、子供が反抗している、一人暮らしで不安⋯、等々から自信や生きる気力、希望を失ってしまうのだ。

しかし、いま置かれている自分の立場は、無視しようが、嘆こうが、落ち込もうが、怒ろうが、誰かのせいにしようが、決してなくならないし、そのままでは何も変わらない。ずっといまの自分に付いて回る。そして「ずっと付いて回るのか」と考えてまた落ち込んでしまう。人間は本当に落ち込んだり、心配することが好きな生き物である。

そこで皆さんに試みていただきたいことがある。あなたがこれまで生きてきたなかで「損した」と考えている「自分の持ち物」の項目をすべて正直に書き出してみてほしい。例えば「仕事がない、学歴がない、背が低い、美男美女じゃない、女(男)であること、両親(夫婦)が離婚したこと、貧困な家庭に育ったこと、ハンディキャップをもって生まれたこと⋯etc.」。

その上で、今度は逆にそこから得たものはないかをよーく考えほしい。リストラされて得たものは、学歴がなくて得たものは、女に生まれて得たものは、離婚して得たものは、身障者に生まれて得たものは⋯etc。書き出していただきたい。必ずあるはずだ。

そしてそのことに気付くと、人間っていかに自分に好都合に(一方的な視点で)物事を見ているかが解るだろう。

これら「苦や不自由」から得た叡知は、私たちにとって、実は計り知れないエネルギーに変わっている。健常者として生まれていたら、果たして現在の乙武洋匡(おとたけ ひろただ)氏はあったであろうか。世界には、困難やハンディキャップがあったからこそ豊に人生を送っている人たちがたくさんいる。

仙道家の島田明徳氏は彼の著書「病の意味」の中で次のように記している。『現実ここにいる、つまり、波そのものである皆さんには、自分が“海の現われ”であることが解りません。自分(波)の意識では海(無自覚)を捉えきれないために、波(自覚)だけで存在していると思っているのです。まずなによりも波(自覚)が波だけでは存在できないということを正しく理解して、海(無自覚な働き)が自分を表現させていること、すなわち「法則」があって自分はこの世にいる、ということを正しく理解しなければいけません。(中略)「波」が「海」を自覚するためには、まず波を静めることが必要です。「私は波です」といつも波立てていたのでは、自分が「海」であることに永遠に気付けないでしょう』と。

この論理に当てはめて考えるなら、乙武氏は自分の存在を海の側から感じていたにちがいない。そして、海である自分を自覚することで荒れ狂う波(不自由な自分)を静め、その結果現在の環境を手にしたのだろう。

私たちの目の前にある「苦や不自由」は、決して無意味な「苦や不自由」ではないのだ。その向う側には「楽」につながる叡知が秘められている。「苦」はひとつの現象であって全体ではない。

以前、NY大学のリハビリテーション研究室の壁に書かれた読み人知らずの「祈り」という詩を紹介したことがあった。その詩はこう締括られている。「求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。私は最も豊かに祝福されたのだ」と。

私は退社以来、物理的に損か得かで生きる部分を極力少なくし、楽しい、気持ちがいいと感じる方向に向かって生きよう、すべからく光のある方へ進もう、そして、捨てることを怖れまいと念じながら日々を暮らしてきた。

そしてそんな自分の想いを通して最近、「他人の評価する自分の幻影に翻弄されにくくなった自分」に出逢った。私のような凡人でも、強く念じつづければ、宇宙の法理は確かに“豊かな祝福”を与えてくれるように感じるのだ。

2002年2月

2009年3月23日月曜日

週末断食

さて、予てより要望のありました断食についてお話、並びにご説明いたします。まず、私が断食(半断食)を奨励するのは、なによりも自らの(病気克服の)体験が元になっています。この体験につきましては、これまで何度かお話してきましたのでここでは敢えて割愛します。

ところで断食と絶食、似たような表現ですが、意味はどちらも同じと考えていいでしょう。どちらも食を断つという意味ですが、最近は完全水断食を行う指導は少なくなってきました。と言いますのも、半断食(軽い食事をとりながら行う断食)の方が現代人の体質には合っている思われるからです。

断食にはいろいろな方法がありますし、著書も数多くありますので勉強してみるのもいいでしょう。ここでは私の体験を通して推薦できる方法をひとつ選んでご紹介したいと思います。

まず断食の目的を簡単に述べますと、それは身体の大掃除。つまり病気の根本的原因の一つは血液の濁りにあると考えています。そこで断食することによって、内蔵諸器官が休まり、過食からくる過剰栄養分が消耗されます。そして、全身の老廃物(宿便と呼ばれているものも含む)が排出されることで細胞に活力が生まれ、自律神経や内分泌機能が調整されて、いろいろな病状が短期間に治りやすくなるということです。

ここにご紹介するのは短期間(2日間)の断食ですから、あまり神経過敏にならずに行えます。この二日間の断食は、期間が短いので敢えて水断食にします。と言っても侮ってはいけません。いくつかの決まり事は必ず守ってください。とくに、復食は断食の命とも言えるもので、復食の成否が断食のイコール成否と言っても過言ではないのです。

【注意すべきこと】
断食に対して余計な不安をもたないこと。食べなければ力が湧かないなど、イメージで自らを追い込まないこと。確かに腹は空きますが、空腹を感じるたびに体内がまたひとつキレイになっているのだと念じてください。眠くなることがあります、状況が許せば眠ってください。また、いたって普通に生活してください。特別ハードでなければ運動をしても問題ありません。お風呂はぬるいシャワーをサッと浴び短時間に切り上げてください。

【断食前夜】
朝食・昼食を通常の5割程度のボリュームにしてください。動物性蛋白は摂らないように。夜食は抜きます。

【半断食当日〜翌日(2日間)】
朝から何も食べません。しかし、水やお茶は最低1時間に1回程度摂るといいでしょう。(麦茶、ハトムギ茶、柿の葉茶など、緑茶のような刺激の強いものは避ける)

【復食・1日目】
朝食から復食を開始します。無農薬であれば理想ですが、難しければ普通のものでも結構です。ニンジン、ダイコン、キャベツ、キュウリ、カブ⋯、5種類程度の野菜を、ステック状に切り、食べやすい大きさに切り、各々軽く一握り程度を食します。その時、少しの自然塩を振りかけながら食しても構いません。よく嚼んでください。また、こうした野菜を用意できない人は玄米五分粥(お茶碗に軽く一杯)でも構いません。副食は梅干しや塩昆布などをほんの少々。飲み物は、断食中のお茶や水、それに番茶を加えてもかまいません。便意をもよおしましたら、内容をよく観察してみてください。

【夕食】
季節の青野菜のスープや味噌汁(出汁は昆布)、玄米七分粥(なければ白米)などの軽いものにしてください。但し、全ての量は普通食の1/3程度に。

【復食・2日目〜】
朝は五分粥を茶碗に軽く一杯程度。昼食・夕食は通常の半分。3日目から5日目ぐらいは、できるだけ一日2食で腹七分目。復食が始まってから一週間程度は動物性蛋白や油物を摂らないようにしてください。そして、毎日の排便を観察してください。よい便は、匂いもかぐわしく、色もきれいな山吹色です。とにかくよく嚼むことが大切です。

(断食と体質)
近年まさに断食、絶食は若い人たちにも大人気です。テレビでもダイエット特集などで、日本各地の断食道場がよく取り上げられます。しかし、断食の意味を知らずして、闇雲に信じたり、また解ったつもりで手前勝手に行うのはとても危険なことです。まずは基本を知ることが大切です。断食イコール万人に合う健康法というわけではないのです。
断食を行なおうと思う人は、どちらかというと陰性体質の人が多いと言われています。普段から肉食を好み血の気の多い陽性体質の人ほど、断食などやろうとしません。本来、こういう人こそが断食に向いているのですが。
そこで、砂糖、コーヒー、果物、市販の白パンなどを食べ運動不足で胃腸がやられている陰性で貧血な人には、従来の水断食はどちらかというとマイナスになります。
つまり、血液がキレイであると同時に濃くなければ、毒は排出されないのです。したがって、貧血の人はなにはともあれキレイな血を増やすことを考えなければ、体内に蓄積している毒を排出することはできないのです。
そういった観念から、食を摂りながら行う半断食が最近脚光を浴びてきたわけです。ここにみなさんに奨励した断食は、極めて短期間のものなので期間中の摂取は水又はお茶のみとしています。しかし、この短期間の断食ですら、実際には驚くべき効果を生む場合もありますから楽しみです。

(反応について)
短期間ですから、一週間程度行う半断食に比べますと反応は少ないと思いますが、留意点をいくつか挙げておきます。
一般的に半断食を行うと、めまい、立ちくらみを感じる場合があります。尿は濃くなり、悪臭を伴ったりしもます。肩や背中、首の凝り、頭痛、手術した部位の痛み、口臭、胃部の不快感など。初期の反応として眠気、冬の時期にはひどい寒け、逆に顏の火照りなどもあります。総論的に見て、いま持っている悪い部分は一時的に症状が顕著になったりします。一時的に手足がむくんだり、精神的にはネガティヴになりがちです。女性の生理も周期が狂ったりします。
しかし、ここで行う断食は短期間ですから、あまり神経質になる必要はないと思います。あくまでも参考として記しておきます。
さてその対応ですが、陰性の症状には陽性の、陽性の症状には陰性の飲み物を原則的に用います。
例として、だるい、眠い、落ち込むといった陰性の症状に対しては、塩気のある飲み物(味噌汁、梅しょう番茶)が効きます。また、身体が火照る、濃い舌苔ができたり、イライラしたりする症状に対しては、野菜スープや果汁などの陰性の飲み物が効くわけです。

(健康は日々の努力から)
さて、ここまで簡単に断食・半断食について説明してきました。最後に、私たちが決して忘れてはならないことを申し上げます。半断食にせよ、足法にせよ、正中心鍛練法、自然流体操にせよ、継続なきところに結果は生まれないということを記憶しておいてください。日々続けるということです。
ある人の「神はどこにいるのか」との質問に対し、「神は細部に宿る」と答えたという話を漠然と記憶していますが、まさに私たちの健康もまた細部、つまり日々の精進に宿るのです。
最近は、どこもかしこも「すぐ治る、すぐ効く」とか、「驚くべき〜、奇跡の〜」などの宣伝文句が街中に溢れ返っています。筋肉まで電気器具で鍛えようと⋯。かくしてその実態は、言わずもがなですね。
信じたら続ける。粛々と続けてみる。その体験なくして同意も反論もありません。シンプルなものほどプロセスは一見退屈に見えて深く、やればやるほど、接すれば接するほど、奥の深さが見えてくるものではなかろうかと思います。断食、半断食についても書けば一冊の本になります。ここでは、私の体験を元に、いま必要と思われる概要のみを記しました。機会があれば他の書物にも目を通していただき、より理解を深めながら細部に神を宿していただければ幸いです。

2009年3月19日木曜日

足法元年は、青春元年

『青春』(原作:サミエル・ウルマン、邦訳:岡田義夫)

 青春とは人生のある期間を言うのではなく、心のようそう様相を言うのだ。優れた創造力、たくま逞しき意志、炎ゆる情熱、きょうだ怯懦をしりぞ却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
 くもん苦悶やこぎ狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそあたか恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をもあくた芥に帰せしめてしまう。
 歳は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめくせいしん星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対するきんぎょう欽仰、事に処するごうき剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、ひたん悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉のあつごおり厚氷がこれを堅く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

怯懦:臆病で意志の弱い様子
狐疑:あれこれ疑問を抱いて決心がつかない様子
芥 :ごみ・ちりの意
星辰:星の意。漢語的表現
欽仰:うやまい仰ぐ意
剛毅:気性が強く物事にくじけない意

言わば足法元年とも云える2002年の始まりに、私はサミエル・ウルマンの「青春」という詩を選びました。この「青春」の詩は、ウルマンが70代で書いたものです。この詩の一部を知っている人は多いと思いますが、全編を読んだ方は意外と少ないのではないでしょうか。

彼は1840年4月13日、ドイツのヘヒンゲンでユダヤ人の両親の長男として誕生しました。その後、両親と共にアメリカに移民し、教育者として、またユダヤ教のレイラビ(精神指導者)として、或いは実業家として幅広く活動しました。そして、晩年になって数編の詩をつくりました。この「青春」の詩は1922年に家族が発行した詩集「80年の歳月のいただき頂から」の巻頭に記載されたものです。ウルマンはこの詩集が発表された2年後の1924年3月21日に84歳でこの世を去りました。

この詩に魅了された人たちのなかには、日本駐留米軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーや、ジョン・F・ケネディといった名前を見つけることができます。

私が初めてこの詩に触れたのは確か高校生の頃だったと記憶しています。それ以来、忘れた頃に触れ、そしてまた忘れた頃に触れながら、徐々に記憶の片隅で親しさと共感を増しつつ今日を迎えました。歳を重ねる毎にこの詩は、強く、そして清廉な波動を放射しながら私を勇気づけてくれます。

なにかと暗い話題の多い昨今の日本にあって、私たちが忘れ、失いかけている大切な心の在り方を、この詩に触れることで一人でも多くの方々に取り戻すキッカケになっていただければ幸いです。

2002年は足法元年、足法という小さな小さな歴史の始まりであり、それと同時に当塾に集い、この場で自らを修め、解放していく皆さまにとりましては第二・第三の青春元年でもあってほしいと私は心より願っております。

筋肉の智恵

筋肉にも心がある

精神的ストレスによって呼吸筋が影響を受け、呼吸が浅く、速くなることは誰にも経験のあることですが、精神的緊張は呼吸筋だけではなく、全身のすべての筋肉を緊張させています。眉間の皴も、顏のこわ張りも、首や肩の凝りも、それらの全てが、硬くこわ張った心の反映なのです。

すなわち、筋肉は「心のメッセンジャー」とも、「筋肉には心がある」とも云えるのです。精神的ストレスは、意識できるものの他に、誰しもその何倍も、何十倍ものものが、潜在意識の中にある考えられています。

ふつうストレスの元になっている感情や思いをコントロールすることは、なかなか難しく、ましてや潜在意識下にあるものは(これまでの西洋医学的見地では)どうするともできません。しかし、どんな思いが心の内にあろうと、意識的には顔のこわ張りをとり、肩の力を抜いて、ゆっくり長い呼吸はできるはずです。つまり、普段の生活の中で、いつの間にか不隋意的な支配下にある自律神経系が、交感神経系優位の状態になっているものを、随意的に呼吸コントロールし、筋肉を緩めることによって副交感神経系を優位な状態にすることができるのです。


筋肉を意識する

日頃私たちは、胃にしろ、腸にしろ、頭にしろ、どこかが痛いとか辛いとか感じるとき以外、殆ど自分の体を意識することがないと思います。それらの存在を忘れているときにこそ健康であると云えるように思いますが、先に述べたように、無意識下においては、殆どの場合、交感神経系が優位に立ち、浅く速い呼吸をし、体中の筋肉をこわ張らせているのです。

よく耳にする、ストレッチも、歪みの矯正も、呼吸法も、それらの全ては、「筋肉を意識する」ということに繋がります。そしてまたそれらの全ては、筋肉の緊張を緩めるということに繋がるのです。そのことによって、交感神経系を抑制し、副交感神経系優位な状態にすることができるのです。

折りに触れ、頬を緩めて笑顔をつくり、肩の緊張を解いて、ゆっくりと穏やかな呼吸をすることこそ健康への道であると考えます。因みに、ほお骨の下の凹みには若返りのツボがあり、そこを日頃から刺激することをお勧めします。それを自然に行っているのが笑うという行為なのですよ。だから、若返りたかったらよく笑いましょう。


(参考文献:大阪市立大学保健体育科研究室・資料)

2009年3月17日火曜日

イライラ、クヨクヨはカラダを蝕む

東北で開催された足法講習会でのことです。私が出ていくと、みなさん食い入るように私を見つめています。足法の先生とはいったいどんな奴なんだ、どんな立派な話をしてくれるんだ、といった感じです。こちらも人間です。そんなとって食ってやるぞと言った雰囲気では、せっかく癒されに来た人たちと楽しい時間を過ごせません。そこで私は集まった受講者の皆さんを前に、「今日は、みなさんお一人お一人に前に出てきていただき、自己紹介をしてもらいます」と云ったところ、それまでの態度がパッと変わって、いきなり参加者の顏や体にピピッと緊張が走るの感じました。そう言って10秒ほど黙って全体を見回していますと、私の魂胆に気付いたらしい人が笑みを漏らし、やがて皆さん納得されたように笑顔に変わっていきました。

今日は筋肉のお話をしましょう、と云った直後の私の発言の意図が理解できたのでしょう。まさに百聞は一見に如かず、です。そのちょっとした実験で、もう皆さん筋肉がいかに瞬時に硬直したり、逆に弛んだりするかが体感として理解できたのだと思います。

私はよく「想い」が大切と云います。私たちの脳は、現実の出来事とイメージしたものとの区別がつかないと医学の世界では報告されています。私との会話に夢中になってた友人が、かき氷を口元に運んだ瞬間「熱ちッ」と云ったことがあります。唇に伝わった刺激を、彼の脳は「熱い物」とイメージしたのでしょう。

脳は、心地よい刺激には快楽ホルモンが分泌し、不快な刺激にはアドレナリンやノルアドレナリンを分泌します。山を歩いていて「熊だ!」とか、夜中に突然「火事だ!」なんて恐怖を感じたときにはアドレナリンが分泌されます。一方、ノルアドレナリンは激怒したりすると出るホルモンで、この二つは言わば非常事態を乗りきるための重要なホルモンとも云えるのです。

問題は、この二つのホルモンが年がら年中体内を巡っている状態は危険だということです。怒ったり、恐れたり、クヨクヨしたりと、とにかくネガティヴなことばかり考えて落ち込んでいると、このホルモンが含む猛毒にやられて、免疫力の低下や老化が進み、大病を患ったり早死にしてしまう可能性があるのです。(因に最小致死量は、体重1㎏当たり1㎎以下。蛇の毒より強いと言われたいます)

ノルアドレナリンもアドレナリンもサリン程の猛毒の分子であり、過剰分泌が問題視されています。不平不満・愚痴・悪口の巣窟のような人はもう大変てすね。そこで皆さんに思い出していただきたいのが「想い」の活用、つまり脳の用い方です。

脳は左右で役割が違っており、左脳で緊張し、右能でリラックスします。怒ったり、落ち込んだり、ねた嫉んだり、恨んだりしていると左脳優位になり、ノルアドレナリン漬けになります。ですから右能優位にもっていく必要があります。それには腹式呼吸がもってこいです。つまり、瞑想をするときの呼吸です。息を吸うときは交感神経が刺激され、吐くときは副交感神経が刺激されます。ですから呼気を長—くすることで、副交感神経が優位に働き、イライラやクヨクヨ、ムカムカが鎮まっていきます。そうすると右能優位の落ち着いた気分になってきます。

自然流体操にも瞑想に勝るとも劣らず、右能を活性化するパワーがあります。顏も体もダラーッと力を抜いて、10分〜30分、無心にクネクネするのです。このクネクネ中にα波が脳から出て三昧の境地に入っていくことができます。筋肉が弛めば持てる自然の力を存分に発揮してくれます。怒らず、恐れず、拘らず、強く、明るく、元気よく、今日一日に感謝しながら、自分らしくワクワクすることを優先してやりましょう。健康は、その後からついてきます。体内では、私たちの想像を超えた奇跡が毎日のように起こっているのですから。

2009年2月6日金曜日

生き方の本質を学ぶ(老子より)

 「日本人の脳」の研究で有名な、東京医科歯科大学の名誉教授、角田忠信氏によると、1995年11月20日午前を期して、脳の基本時間基準が変化したと発表されています。つまり、この時点で、宇宙的規模でなにか新しい時代に突入したのではないかと考える、専門家がいま多数います。

 確かに、私たちの周囲を見渡すとき、なにかこれまで(バブル経済を代表とする拡大路線)とは違う、人間の内なる要求が、現われてきているように感じます。

 例えば、なぜいま皆さんは「今」ここに集うのか。それは、健康でありたいからです。実は、それはとても本質的な行動であるわけです。老子もそのことを語っています。その要約を読んでみます⋯

 寵愛(上司や他人の目を気にすること)をうけるか屈辱をうけるか、人々はそれにビクビクして不安でいる。それは名誉とか財産とかいった大きな心配事を大切なものとして、我が身と同じように考えているからだ。寵愛と屈辱とにビクビクと不安でいるというのは、どういうことか。寵愛を良いこととし、屈辱を悪いこととして、うまくいくかとビクビクし、ダメになるかと不安でいる。それが寵愛と屈辱とにビクビクと不安でいるということだ。名誉とか財産とかの大きな心配事を大切なものとして、我が身と同じように考えているというのは、どういうことか。我々が大きく心配事を持つことになるのは、我々に身体があってこそのことだ。我々に身体がないということであれば、我々になんの心配事が起ころうか。してみると、身体こそが根本だと分かるだろう。だから、天下を治めるといったことよりも、我が身のことを大切にするという人にこそ、天下を任せることができるし、天下を治めるといったことよりも、我が身のことを労るという人にこそ、天下を預けることができるのだ。

 企業のために命を捧げることが会社人として当然の使命と考えられていた時代がありました。日本経済の右肩上がりを支えた人たちですが、前回にも申し上げましたが、それが楽しくて仕方ない行為であれば、それはそれでいいわけですが、そうでないことの方が圧倒的に多いわけです。

 しかし、時代は移り変わり、人々の意識も大きく変化した今、私たちは「個」、
個人の「個」に戻り、その本質に目覚めていくとき、自らと同じように他人も大切にすることを知ります。

お釈迦さんの話。

 我れが我れがと生きていても、実は全体の中で精緻なバランスがとられているわけで、まさにこれこそが宇宙律のなかで生きている所以です。

 幸せの秘訣、健康の秘訣は、なんの疑いもなく、宇宙の秩序に行動と思考を合わせていくこと。難しく考える必要はなにもありません。よく、人様に迷惑をかけない、という表現がありますが、むしろ、自分がしてほしいことは、他人もしてほしいし、自分がしてほしくないことは、他人もまたしてほしくないことなわけです。

 健康というものも、あの薬が効くとか、どこそこに整体の達人がいるから、といった、そういった外の声を聞くのではなく、自らの身体の内なる声を聞き届けることが大切であります。しかし、我れの欲求でいっぱいの人は、身体も心もカチカチに硬直して、自然感覚が希薄になります。気をつけたいですね。

 ここでもうひとつ、老子が「侍して満たすは⋯、つまり身の引き時」について語っていますので、ご紹介します。

 いつまでも器をいっぱいにして満たし続けようするのは、止めたほうがよい。鍛えに鍛えてギリギリまで刃先を鋭くしたものは、そのままで長く保てるわけはない。黄金や宝玉が家中いっぱいにあるというのは、とても守りきれるものではない。財産と地位ができて頭が高くなると、自分で破滅を招くことになる。仕事をやり遂げたなら、さっさと身を引いて引退する。それが天の道、自然の運び方、というものだ。

 私たちの、祖父祖母の暮らし方を思いだすとき、まさにそこには自然と一体となったものを感じます。いかに科学が進歩しようと、私たちは自然の恩恵をこうむって生きているわけで、いま一度、自分の生き方を見つめ、そのなかで、健康と対峙していただきたいと思います。

地限場限(じぎりばぎり)

 今年も残すところあと僅かとなりました。みなさんは今年一年を振り返って如何でしたか。月日の経つのが早い、という発言をよく耳にしますが、個人的に或いは社会的に、この1年間に起こったことを手繰ってみますと、やはり365日はそれなりに長く、春夏秋冬折々に私たちは機微に触れて生きていることを思い知らされます。

 マスコミを通じて私たちに届いてくる事件や事故の数は増加の一途を辿り、ひとくちに凶悪犯罪という表現では済まされない、人間の尊厳が問われるようなものが非常に多くなっています。

 それでいながら、そんな凶悪な犯罪や悲惨な事件・事故も、悲しいかなアッというまに色褪せてしまい、聞かれてもすぐには思い出せないほど、加速度的に新たな出来事が次々に発生しています。

 そんな最中、以前にもお話しましたが、ポール・ゴーギャンが死を決意し自らの芸術的遺書として描き上げた畢生の大作(1897年)その画題を私はときどき思いだします。

『我ら何処より来たるや
 我ら何者や
 我ら何処へ行くや』

 この問い掛けは、人類の誕生以来、永遠の課題であり、また永遠に答のでないものなのかもしれません。

 私もまたこのゴーギャンの問い掛けを同じく自らに突きつけ、もう随分長い間、考え続けてきました。もちろん、今現在みなさんに胸を張ってお伝えできる答えなど到底持ちえているわけではありません。

 しかしながら、思いきって清水の舞台から飛び降り(職を辞し)、時間に縛られることもなく日々自らに面と向かう生活を何年も送っていますと、時々天からおもしろい囁きが聞こえてきたりします。

 そのひとつに「原点に還れ」というものがあります。なんと自然で、またなんと大胆な言葉でしょうか。

 では原点とは何か、私の想いを語りますと、それは愛であり、善であり、健康であり、幸福であり、そして繁栄です。

 ところが最近の世の中を見渡してみますと、愛は薄れ、善は霞み、健康は崩れ、幸福は即物的になり、繁栄は歪んでいるように見えてなりません。

 しかし、このように渾沌とした時代にも己を取り戻すことはできます。例えば足法。相手の幸せを願い、自らの力量を常に謙虚に受け止め、ひと足、ひと足、祈りを込めて踏み進む、その一心の積み重ねこそが、徳を積むことであり、人生を好転させる秘訣、私が例えて云う水の流れに添うことであり、すなわちそれこそが生きる原点なのではないかと思うのです。

 日々の仕事にもまた同じことが云えます。奪うことを止め、分け合いましょう。謙虚になって感謝する気持ちを大切にしましょう。自らの繁栄だけでなく、相手の繁栄をも祈りましょう。幸福は、そんな態度に宿るのだと思います。

 若かりし頃、私は勤め先の上司から「文句言われりゃ頭を下げろ。下げりゃ文句が通り越す」と諌められた記憶があります。そのとき私は相手が文句を云っている間、頭を下げてやり過ごすと思っていたのですが、実は違うということをこの歳になって気づきました。

 頭を下げるということは感謝するということなのですね。歳を重ねると文句を云ってくれる人すらいなくなります。若いときに受けた諌言は、たとえその表現がどんなに辛辣であっても自らを鍛え育てるありがたい言葉なのですね。

 江戸時代の念仏僧、休心房が「地限場限」という言葉をよく口にしたそうですが、これは、事に当たってそのひとつひとつを、一生に一度だけの機会として受け止め、心を込めて臨む、言わば一期一会の精神に相通じると云われています。

 日常、私たちの周りで起こっていることを横柄に当り前の事として受け止めるのではなく、地限場限の精神で臨んでみましょう。

 この人とはもう二度と会えないかもしれない。この諌言はもう二度と聞けないかもしれない。この食べ物はもう二度と口にできないかもしれない。こんな時間はもう二度と過ごせないかもしれない。

 このような感謝の気持ちを積み重ねるうちに、ゴーギャンの抱いた画題が、ある日ポロッと解けたりするのかもしれません。

 みなさま、今年一年、学びの機会をいただきありがとうございました。来年も共に天井知らずの幸せに向かって歩みましょう。どうぞ、よいお年をお迎えください。