2019年8月17日土曜日

中心圧の「押圧と引圧」

人の体がなぜシンメトリニ(左右対称)になっているのか、普段はなかなか思いを抱かないものですが、考えてみるとそこに深い意味があることに気づくはずです。

 在ることの意味に気づかなければ無くしてみればいい。つまり、人間は左右対称であることによって実に巧くバランスがとれ、宇宙リズムを体現できるように創られているのです。その一つに力の生まれ方があります。

 皆さんが力を用いようとする時、これまでその力がどこから生まれるかを考えたことがありますか。 腕の力や足の力といった分散的な考え方をしていたのではないかと思いますが、力はすべて体の中心から出るのです。

そして、体の中心から出た力こそが最も効率よく強いものとなるのです。 これは当然のことながら足法にも適用されることであり、中心から踏圧が出るようになれば無駄な力を用いずに効率よく足法が行えるようになります。

 この話は初心者の方には少しばかり難しく、また初心者が習う「乗せる足法」では中心力が十分に使いにくい面がありますので、准足士になってからそういう踏み方を習うのだと理解してください。

 さて、話を続けましょう。 私は長らくこの中心圧というものについて考察を加えてきましたが、あるときフッと脳裏を過ぎったのが「思い」でありました。

 「思い」と聞いて多くの方は、なぜ思いが力に作用するのかと疑問を持たれるかもしれませんが、実は大いに関係していると私は確信に至ったのです。

 例えば信念のある人を見てください。その人の信念は体の右や左に感じるでしょうか。そうではないはずです。必ず真ん中にドンと居座って見えるでしょう。

 これは科学的に追求しても証明可能なことだと私は考えます。 運動においてもそうなのです。ジムワークにおいても、力を入れるとき体の中心に意識を集中することによって、より多くの力が発揮されると言われていますし、私自身日々の実践を通してその理屈の正しさを認識しています。

 私はここまで施療を重ねながら、どんどん無駄な力を用いなくなりました。踏まれている人が感じる圧と、私の踏み方のギャップは年々大きくなっているのです。

 その要因はすべて中心圧の用い方だと考えます。そして、私が中心圧を用いるときに最も大きく作用しているのが「いかなるときも体の中心に意識を置いている」ということです。

 では、体の中心とはどこかということですが、それが仙骨です。具体的には仙骨の上部、腰椎との境目辺りとでも言いましょうか。

その部分を表にすると丹田ということになります。 人間は、いざ力を発揮しようとするとき、必ず仙骨が締まっているはずです。

皆さんが押されないように身構えるときの自分を想像してみてください。どこに一番力を入れますか。よく腰を踏ん張れと言われますが、つまりこれが仙骨を締めるということなのです。

 仙骨は実に摩訶不思議な骨であって、「仙」という字が当てられた意味が想像できそうです。私はこの仙骨に独特のバイブレーションを感じます。そして、このバイブレーションこそがこんな小さな足で私たちを支える基になっているのでしょう。

 仙骨を意識して力を出そうとするから、その力は闊達に相手に届けることができます。その時、高いレベルの足法は、圧を加えると同時に引いてもいるのです。

引圧をもって押圧を加えるから自由に方向を定められ、深い圧を受ける側は身構えることなく(知らぬ間に)受け取ることができるのです。

 私が体の姿勢を正している意味がこのことからもお解りいただけると思います。姿勢が崩れていると体の中心から圧が出にくくなります。

本人はそれが踏みやすいと考えていますが、長い目で見ると伸びしろは小さくなります。よって、常に仙骨を立てた美しい姿勢を保てるように、たとえ最初は辛くとも練習を重ねていただきたいと思います。

2009年9月21日月曜日

今人(いまじん)

『青春』
(原作:サミエル・ウルマン、邦訳:岡田義夫)

 青春とは人生のある期間を言うのではなく、心のようそう様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

 苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 歳は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。

 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。


怯懦(きょうだ) :臆病で意志の弱い様子
狐疑(こぎ)   :あれこれ疑問を抱いて決心がつかない様子
芥(あくた)   :ごみ・ちりの意
星辰(せいしん) :星の意。漢語的表現
欽仰(きんぎょう):うやまい仰ぐ意
剛毅(ごうき)  :気性が強く物事にくじけない意


多くの方はこのウルマンの詩の一節を耳にされたことがあると思いますが、全文を読まれた方は案外少ないかもしれません。

私は繰返し皆さんにこの邦訳も含めて格調高い詩をご紹介し続けようと思っているのですが、その理由は言うまでもなく、私たちの心の在り方の原点がそこにあるからです。

浜松医科大学名誉教授・高田明和氏の著書「脳から老化を止める」の中に次のような一節があります。「今まで神経細胞は生後は分裂・増殖しないとされていました。しかしそれは間違いだったのです。それどころか70才を超えた高齢の人の脳細胞も分裂することができるのです」これは米国サーク研究所のDr.エリクソンの実験から証明されたのです。

高田氏は著書の中で老化を防ぐ方法も書かれていますが、その中で私の心に強く残ったものは、「私は長い間“困ったことは起こらない。すべてうまくゆく”という言葉を繰り返し繰り返し自分に言い聞かせています。この同じ言葉を寝ながら繰り返すと眠くなるから不思議です。またそのように繰り返しながら寝て朝目が覚めると、非常に気分がいいので驚くことがあります」というものです。

これは私が普段から足法参加者の皆さんによくお話することですね。最近こういうお医者さんが西洋医学の分野でも少しずつ増えてきたことに私は大きな喜びを感じます。

病気の大部分が心身症と言われています。日頃気付かぬうちに抱え込んでいるストレスが大きく私たちの健康に影響しているわけです。常日頃からの心の在り方をもう一度自分自身で見つめ直してみてください。そして、もう一度、私たちは加齢と共に老いるのではなく、悲観的な態度が老いを招くのだと自らに言い聞かせていただきたいと願います。

恨み・つらみ・嫉み・そねみ、不平不満・愚痴・泣言・悪口・文句とは縁を切り、自分が心からワクワクすることを無邪気に楽しめる人は、例え高齢でも決して老人ではありません。何歳であろうと、まさに青春の真っ只中に生きる“今人”なのだと私は思います。

(2003年3月)

命と向きあう

先日、打ち合わせ先のロビーで少し待ち時間ができ、傍らのマガジンラックから何気なく一冊の「サライ」(小学館刊・3月20日号)を手にしました。昔から好きな雑誌の一つだったのですが、その中にある助産師のインタビュー記事が掲載されており、心魅かれるものがありましたので(出版社に問い合せた時点で在庫なし)抜粋して紹介します。足法習得を目指す皆さんの琴線に触れる部分も多々あるのではないでしょうか。

プロフィール:安保ゆきの(あぼ・ゆきの)明治44年、三重県生まれ。昭和8年、津市立病院付属看護婦養成所卒業後、名古屋鉄道病院に就職。外科の看護に12年携った後、結婚退職。昭和23年、安保助産所を開業。昭和62年、勲六等宝冠章受章。関連書籍に『ぬくもりの選択 安保助産所出産日記』(浅川千香子著)がある。

──誕生の瞬間はどんな気持ちですか。
「赤ん坊を取り上げるとき、私はいつも跪(ひざまず)いて両手で受け止めるんです。親でさえもまだ触れたことがない生まれたての赤ちゃんは、ご神体と同じ。気高くて、神々しい。それをこの手で受け止めるというのは、身が震える思いがする。助産師は、新しい命に仕えるの。その命を生む母胎に対しても同じで、とても失礼な気持ちではおれない。そもそもお産は病気とは違います。太古の昔から変わらない自然な営み。自然というのは待つことなんです。母親の体の状態と赤ん坊の元気、それが一致して初めてお産が進む。人間の意思によって、早めたり引き延ばしたりするもんじゃないと思っています。お産は一日のうちで実際に満潮時に一番多い。命は満潮に生まれ、やがて引き潮とともに終わっていくもの。自然に逆らって無理をしたら、お母さんの体に辛いところが残ったり、必ずどこかに歪みが出てくるからね。助産師は産婦に寄り添い、辛抱強く時が熟すのを待つ。陣痛促進剤、吸引器もメスも使いません。母子の持つ自然の力を信じて、最大限に引き出すお手伝いをするんです」

──助産師の手技は、奥深いものなんですね。
「産婦の体を傷つけないよう、なるべく楽に生めるように手を尽くすんです。いま病院では、赤ん坊を早く取り出すために、産道の出口を切開するのが当たり前になってますね。でも時間をかけて皮膚を温め、滑らかに保ってあげれば、充分に伸びて破けることもない。傷がない分、産後の回復はじつに早い。まあ助産師の仕事を10とすれば、こうした手技は2割ほどです。あとの8割は、精神的看護。妊産婦の心のケアが一番大事なの。あの陣痛は、女にとってこれほど辛いことはない。私も長男のお産のときは本当に辛かった。これは男には絶対に分からない苦しみやわ。どこの国の女性でも産婦はみんな、なりふりかまわず、“痛い、痛い”と叫びます」

──極限状態ですね。
「その苦しみに耐えるとき、年齢も学歴もきれいな服も、表面的なものは全部こそげ落とされて、産婦はみな三歳児に戻ってしまう。とにかく誰かそばにおって欲しいんですよ。でないと耐え切れない。涙を流して痛がる産婦に向かって、“痛いのはあんただけやないよ”なんて憎らしい言葉を吐く者がいたら、それは助産婦の資格はない。私たちは絶対に“ノー”と言ったらいかんのです」

──いつも、どんな言葉をかけますか。
「“ああ、痛いなあ。もうすぐやで。さあ深呼吸したら楽になるよ。おお、あんたはいきみが上手やで。だいぶ早いわ。ほれ、もうちょっと頑張りな。もうすぐ楽になるよ⋯”産婦の心の中に入って、産婦と同じ気持ちで話を交わすの。それが一番ええ薬。腰をさすってやりながら、励まして褒めてあげる。安心して緊張がほぐれれば、産道の収縮もよくなって楽になるから、お産が進むしね」

──望まれるのは、命そのものなんですね。
「8年前、大変な難産があったの。逆子でね。片方の足が一本出たきり、そこからどうにも進まない。この体勢で無理はできん。困り果てた。すると赤ん坊は、自分の力で体をググッとひねったんです。そしたらお尻がポッと出た。ところが今度は、後頭部の出っ張りが母親の恥骨に引っかかってつかえてしまった。この状態が続けば危険や。もしこの子に万一のことがあれば助産師をやめよう。腹の中で覚悟を決めたんです。時間が刻々と過ぎる。ああ、もはや万策尽きたか⋯。そのとき、ふっと声が聞こえた。〈耳の上には突起がない〉あっそうだ。恥骨にこめかみが当たるよう赤ん坊の体をひねった。すると後頭部の食い込みがはずれて、ぽんと出た。私はそのとき、1時間くらい経過したように感じたの。ところが、“いま、どんだけかかった”と助手に聞いてみたら、“10分です”と」

──優しいお子さんだったんですね。
「夏のある日のこと、樹の枝に蝉がいるのを見つけた。蝉は殻の背を割り、いままさに外へ出ようとしているところ。私は殻をきれいに剥いてやって、再び樹にとまらせたの。ところが翌朝、蝉の亡骸が樹の根元に落ちていた。ああ、死んどる。どうしたんかな⋯。それを母親に言うと、“生物が自分の力ですることを、何でそんないらんことした”と叱られた。自然の成り行きを見守り、じっと待つことかどれほど大事か。きっと神様が、子供の私に教えてくれたんやね」

──最近は、命を軽視した出来事が多いです。
「子宝は天からの授かりもの、とはよく言ったものです。尊い命を授けてくれた、目に見えない大いなる力の加護への感謝。そして生命への畏敬の念が込められた言葉ですね。ところが最近の若い夫婦は“子供を作る”という。そんな言葉の端っこには、母体に命が宿るところから、自分たちの意思で好きにできるという驕りが見え隠れしとる。芽生えた生命を、途中で摘むのも自分の勝手。命など、どうにでもなると思っていないか。人間が自由にできるのは、性行為だけです。命というのは、そんなもんと違うんよ。人間の欲望のまま、競うようにして精巧なロボットを作りあげたとて、魂はどうやって入れるのか。そこに何か後悔が残りはしないだろうか。そういう懸念を私は持ちます」

──倫理観が問われる時代ですね。
「命の始まりと終りは、決して人間の自由にならない。そこをしっかりと心得ないと。昔は自宅出産が普通だったでしょう。家族が見守る中でお産が行われ、年寄りは住み慣れた家で亡くなっていった。それを間近に見ることで、家族は命の尊さを学んだんです。ところが現代では、人は病院で生まれ、病院で死ぬ。家庭の中から、人の生死が姿を消した。何か、大きな忘れ物をしとる。人間は歳をとると、それまで当たり前だと思っていたことの不思議に気付くんです。十月十日でこの世に誕生する命、可愛い産声。自然と溢れ出るおっぱいを無心で口に含む乳飲み子。私には、そのすべてが神業に思える。私も92歳まで丈夫で仕事をやれていることを考えると、自分の体の細胞ひとつひとつに感謝しなくては。鏡に映るたび“よう働いてくれて、ありがとう”と言ってますよ。‖
                ●
安保さんはこのインタビューを通じて終始、“自然”であることの意味を問い質しています。私も足法を通じて、時間が経つほどに自然というものを強く意識するようになりました。私たちの命も、その自然の一部なのです。

しかし、その體の自然な働き、目に見えない細胞の自然な働きは、決して永久無限のものではありません。加齢とともに衰えます。しかし、自然に則り衰えることは、無秩序に壊れることとは違います。つまり、それは豊かな衰えなのです。ところが、手前勝手な健康求道者たちは、生命システムの深遠なる叡知に気付こうとはしません。だから病気になるとその部分だけを見つめ、命という全体には向き合わずに敵視してしまうのです。

ですから私は施療に際していつも、患者さんが「神の叡知と一体になれますように」と祈りますし、もっと別の表現で伝えたりもします。相手の方が、神の叡知を戴いて自らの命そのものに向き合われたとき、初めて私たちの力も届きやすくなるのです。

神の叡知(宇宙を創造した叡知)⋯。陽は昇り陽は沈み、四季は移ろい、命は生まれやがて滅す。叡知は新たな叡知を生み、すべては輪廻する。しかし、この仕組みを解き明かした人を私は知りません。それは語るものではなく、感じるものなのでしょう。壊れた人間を技術だけで治せるものなら、この長い人類の進化の中で、既に達成していたに違いありません。それができないところに人の命の意味と神秘さがあるのだと思います。

縁あって踏む人と踏まれる人が集いました。踏むとは、お互いの心と體が「富む」ことでもあるのです。足法の経験を積み重ねるほど、技術だけに頭が支配されることなく、もっともっと自らの感じる力に心の耳を傾けていただきたいと願っております。

人の體は、いつも声を発しています。それを施療する側と、される側の当人が共に聞き届けて共鳴し合うところから、命は本来の力を取り戻そうとし、寿命を全うしようとする、私にはそのように感じるのてす。

毎日、TVの戦争報道に登場するイスラムの自爆死。方や、暴飲暴食とストレスで病死していく先進国の人間たち。前者にとって死は幸福となり、後者にとっては耐え難い恐怖となります。しかし、私にはその二つの死に、安保さんの「命の始まりと終りは、決して人間の自由にならない」という言葉が重なります。カタチは違えども、両者は神から授かった寿命に、意識・無意識的に手を加えているように見えてならないからです。

(2003年4月)

大麦小豆二升五銭

8年程前に読んだ本(「一回限りの人生」清水榮一著、PHP出版)の文中に大変興味深い一節があり、今でもたまにフッと頭を過ることがあります。

昔、四国の丸亀に一人の老婆がおり、この老婆のマジナイが病気に良く効くということで大評判になったそうです。そのマジナイとは、「大麦小豆二升五銭/おおむぎ しょうず にしょう ごせん」というもので、このマジナイを三回唱えて病人の患部を擦ると、どんな病気もたちまち治ってしまったといいます。

しかし、この話には落ちがありまして、ある時その場に立ち寄った一人の僧侶がそのマジナイを聞いて、金鋼経にある「応無所住 而生其心/おうむしょじゅうにしょうごしん(応に住まる処無くして其心を生ず)」であることが分かったのです。

「住まる処が無い」というのは、心が一ヶ所、一つに留まって淀まないこと、執着しないこと、拘らないことであり、そこに「其心を生ず」、つまり無碍自在の心の働きが現われるという意味です。

私はこの話に触れて、お経の「読み方、音」についてそれまでの疑問がスッと消えていく思いがしたのです。お経は、もともとお釈迦様が説法されたとするものを、後々にまとめられたものですが、そのお経は当然インドの言語で書かれています。

玄奘三蔵法師をはじめ多くの僧侶が苦労の末、インドから中国へお経を持ち帰り、そこで中国語に翻訳されました。そして、直接的・間接的に日本に入り、私たちは現在日本語の発音でお経を読んでいます。

お経は原語・原音で読まなければ意味がないと強調する人もいますが、この「おおむぎ しょうず にしょう ごせん」の話を聞きますと、大事なことは音や文字そのものよりも、そこに託された意味をありのままに信じる気持ちなんだということが、私にはよく分かります。

大阪にある浄土宗洗心寺のご住職からも、かつてこれと似たお話を聞いたことがあります。無学な老婆がいたそうです。その老婆がご住職に「どうしたら成仏できるか」と尋ねました。ただひたすら無になって南無阿弥陀仏と唱えなさいと言うと、本当にそれからというもの毎日熱心に念仏を唱えたらしいのです。それ以来、ご住職が見るたびに彼女は仏様のような邪念のとれた美しい顔に変わり、やがて幸せに天寿を全うしたそうです。

その話に付け加えてご住職が私に優しい口調で言いました。「立派な肩書きをもっている人ほどダメですね。頭で考えすぎて肝心なものが見えないのです。その点、あのお婆さんは立派でした。私の言ったことを、ひたすら信じて念仏を唱えつづけましたからね」と。

神通力を得たという、かの久米の仙人ですら、小川のほとりで洗濯していた若い乙女の、裾をまくり上げたなまめかしい姿に欲心を起こし、天上界を飛翔中に下界を見て墜落してしまったという話があります。仙人でも囚われると失敗するのです。

足法を上手になりたい人はたくさんいますが、技術だけに執着していては限界を超えられません。会員証の裏にある「足法句」を繰り返し読んで心に焼き付けていただき、その意味するところに向かって精進して頂ければ、いつの日か必ず大きなエネルギーとなって、より嵩い自分へ還っていくと私は思っております。

(2003年3月)

2009年8月17日月曜日

健康法の幽霊

ここにひとつの健康法をご紹介します。まずはよく読んでみてください。

脳卒中で絶対に倒れない法
(鹿児島県国分市養護老人ホーム慶祥の資料より)

血圧は医薬品で簡単に下げることができますが、脳卒中で倒れない方法は、現代医学をもってしても、その予防法は、ないそうです。もし一度この発作にみまわれ、倒れたら軽重の差はあるにしても、再起の望みは断たれ、一生を植物人間として過さなければなれません。大変不幸なことです。しかし、予防の医薬品はないにしてもご安心ください。

『医薬』とはいえませんが、『脳卒中では絶対倒れない飲物』があります。
私はこの飲み物の医薬的成分を知らないし、文献もありませんが、数千人の人が試され、その多くが健在であり、健在であったという実験済みのものです。私はいまこそ勇気と自信をもっておすすめします。試みでなく本気でお飲みください。ただ一回だけの服用で一生を精一杯、生き抜いてくださることをお祈りします。合掌 (この文は、園長さんから頂いた資料のままです)

園長さんのお話
3年前にこの飲み物を、作って、当園50人のお年寄りに飲んで頂きましたが、その後、脳卒中は、1人もありません。信じる、信じないは、ご本人のお気持ちですが、飲んで害になる品物は入っていませんし、善意に解釈できる人はお試しになってはいかがでしょうか。

飲み物の作り方(1人分)
1.鶏卵         一個 卵白だけ使用   よく混ぜる
2.蕗(ふき)の葉の汁  小匙 3杯   
 ふきの葉20g(3〜4枚ぐらい)を細かくきざみ、すり鉢でよくすり潰
 し、それを布に包んで絞るとよい。 注意:つはぶきは不可
3.清酒 (焼酎は不可) 小匙 3杯
4.梅漬         一個 種を除いてすり潰す(土用干しした梅干は不可)

以上4点のものを、必ず番号順に器に入れて、よく混ぜて作る。入れては、よく混ぜ、次のものを、入れては、混ぜること。普通のコップに半分くらいの汁ができます。
この飲み物は、一生に一度、飲むだけでよいので、早急にお試し下さい。
梅漬け:青梅をよく布で拭いて、十分の一量(重さ)の食塩で漬けたもの。

私がこの健康法を入手したのは、今から20年ほど前のことと記憶しています。どこから、誰から入手したのかは残念ながらよく覚えていません。私の母が高血圧であったために、どこかで手に入れたのだと思います。

そもそもこの「絶対に脳卒中で倒れない法」が広まった理由は、今から20年程前に福岡市の小学校校長会で紹介されたのが切っ掛けらしく、誰かが参考文書の内容を要約したということで、鹿児島県国分市の養護老人ホーム慶祥園で実施していて、国分市や隼人方面で大変な評判になっており、慶祥園では大勢の人がこれを用い、そのことごとくが脳卒中に患わなかったという結果が得られた、という内容で構成されています。

実際に、この健康法を有名な鍼灸学校や個人の鍼灸師が紹介しています。そこで、私は直接ここにある慶祥園に電話取材してみました。あいにく園長さんは外出中とのことで、寮母の仮屋園(かやぞの)さんが取材に応じてくれました。私の質問に対して、当初やや戸惑われていた仮屋園さんから興味深いお話をお聞きしましたのでここにご紹介します。

慶祥園には一年を通じて私と同じような問い合わせの電話が今でも数多く寄せられるとのことで、遠くは海外からもあるそうです。聞いて驚いたのは、この慶祥園の園長さんがこの健康法を発表したという事実はないらしく、かつてこの園に住むある方が個人的にこの方法を実行されたようだという話を聞いたことがあるとのことでした。

実際、方法論そのものにはカラダに悪い要素もないらしく、そのまま何の問題もなく今日を迎えたということです。しかし、仮屋園さん曰く、当園はこの件に関してまったく関与しておらず、責任もとれないということで、私がこの取材の内容を私の教室で公表したいという申し出に対しては逆に好意的に受け止めていただけました。以前も、また現在も、慶祥園でこの方法を試されている方は“仮屋園さんの知るかぎり”誰もいないということです。

世の中が健康ブームと言われて久しくなりますが、このような話は決して珍しいことではありません。私も足法という健康法の指導に従事する者の端くれとして、いろいろな健康法が世に広まること自体はとてもよいことだと思いますが、根拠と実態の伴わない幽霊話が横行することにはある種の不安と戸惑いを禁じえません。

私は、ここにある健康法を否定しているのではありません。ひょっとしたら大変素晴らしいものかもしれないのです。それだけに私は是非とも実績や経緯などを詳しく知りたかったのです。何れにしても、情報が錯綜する時代に生きる私たちは、自らの感じる力を最大限に活用して事に臨む必要があると強く実感しています。すべての責任の所在は、最終的には個人にあるということを決して忘れてはならないでしょう。

(2003年2月)

地上の星

昨年の紅白で中島みゆきの歌った「地上の星」が、発売から3年を経てオリコンヒットチャートの第一位になったことをニュースで知った。私はこの楽曲をNHKの“プロジェクトX”という番組で初めて聴いた。中島みゆきの歌とは「時代」から始まってもう20年以上の付き合いがあるが、彼女の詞と曲は私の人生の折々に心に揺さぶりをもたらした。改めて「地上の星」の詞を書きだしてみたい。

 風の中のすばる
 砂の中の銀河
 みんな何処へ行った 
 見送られることもなく
 草原のペガサス
 街角のビーナス
 みんな何処へ行った
 見守られることもなく
 地上にある星は誰も覚えていない
 人は空ばかり見てる
 つばめよ高い空から
 教えてよ地上の星を
 つばめよ地上の星は
 今何処にあるのだろぅ

 崖の上のジュピター
 水底のシリウス
 みんな何処へ行った
 見守られることもなく
 名だたるものを追って
 輝くものを追って
 人は氷ばかり掴む

この歌を聞きながら、私は今という時代を改めて見回してみた。ニュースは連日のように凶悪犯罪や若者の暴力、公僕たちの不正や芸能スキャンダルを映し出す。それが時代柄、まるで常識であるかのような錯覚を見る者に与える。そして、ノーベル賞に選ばれた一人の無名なサラリーマンを、まるでアイドル並に追い掛け回し、無理矢理に英雄へと祭り上げていく。

一人の犯罪者をマスコミが一方的な視点で断罪するのと同じ手法で、一人のヒーローが仕立て上げられていく様に、そして、その報道にまるで我が事のように振り回される庶民の姿に、現代人の心の貧しさを感じずにはいられない。

私たちは今、心の在り方を見失ってしまったのだろうか。人間とは、醜くもあり美しくもある。弱くもあり強くもある。その証拠は私たちの身の回りに散在しているではないか。私たち人間は、間違っても画一的ではないのだ。

ところが、小学校に入ると同時にまるでクローン的な教育システムに子供たちを押し込め、大人たちが決めた“よい子”の価値観ですべてを評価しようとする。

そしてその子供たちが成長すると、その多くは世の常識から外れることを恐れ、人間にとって最も大切な創造性の欠片もない、かつての大人たちと同じ轍を踏み続ける。そんな大人たちが繰返し新たな社会人に対して、独創性や個性を求めるという茶番を私たちはいったいあと何年見続けることになるのだろうか。

渋谷でたむろっているヤンキーにも、新宿の浮浪者にも、組織の片隅に追いやられたオヤジにも、そして夫や子供たちのためだけに生きている普通の主婦の中にも、天才や哲学者、或いは傑物はいるのだ。

木下藤吉郎が現代に生きていたら、定年離婚の憂き目に遭うような、しょぼくれた男で終わっていたかもしれない。アインシュタインが今の日本に生まれていたら、おそらくいの一番に落ちこぼれの烙印を押されただろう。

これは私の勝手な想像であるが、あの田中さんが、もしもノーベル賞を受賞しなかったら、島津製作所は彼をいち役員にもしなかったのではないか。そんな思いを抱いてしまうほど、彼の受賞に対する会社側の対応は、すべてに渡って後手後手に映って見えた。

W・ブレイクの詩に次のようなものがある。

 一粒の砂に世界を 野の一輪の花に天を見たいのなら
 掌に無限を 一瞬に永遠をつかみなさい

この意味を私ふうに解釈すると、私たちが見たいときには目を閉じ、聞きたいときには耳を塞いでこそ、真の姿が現前するということ。現象に振り回されて真理を見失ってはならない。情報はひとつの価値観であって決して真実そのものではない。心の目、心の耳を通さなければ“地上の星”を発見することはなかなか難しい。

プロジェクトXを見て涙する老若男女は少なくないと聞く。もしそれが単なる現象ではなく人間性回復の兆しであるとすれば、この国の将来も捨てたものではないと思うのだが。

(2003年1月)

五右衛門君からの学び

2003年も当然の如く、明ければ過ぎゆく習わし通り18日を数えます。みなさんは、どのようなスタートを切られたことでしょうか。

私はと云いますと、1月6日に義父が亡くなりまして、私の家内が男なしの長女ということもあり、その助っ人に数日間バタバタとした日々を過ごしました。

8日に谷中の常在寺という日蓮宗のお寺で葬儀を行いましたが、そのときのエピソードをひとつ。と申しましても、葬儀のことではありません。家内の妹の長男(中学受験を目前に控えた)のことなのです。

この少年、常日頃から非常に元気が良いと云えば体裁はいいのですが、実は母親の言うことを聞かず、いつも暴れ放題にとっ散らかっているような子なのです。

この日も予想通り、母親や祖母、はたまた私の家内の言いつけなどどこ吹く風、シンと静まり返った寺に到着するなり、弟・妹にちょっかいを出し、その行為はどんどんエスカレートし、やがて襖をも破くかの大音響が境内に鳴り響いたのを聞いてついに母親は堪忍袋の緒が切れたのでしょう。スッと私たちの前から消えました。

やがて日蓮をも脅かすかの悪魔の宴は鳴りを潜めました。5分、そして10分、弟と妹はニコニコ顔で行き来するのですが、いっこうに主役の姿は見えない。

そこで私は厠に立つ振りをして隣の広間を覗いてみますと、まるで牢獄にぶち込まれた石川五右衛門のごとく胡座をかいたまま、青白い顏で俯いています。その横顔にかつての私自身を見る思いが⋯。

この話に必要な補足説明を加えますが、彼の弟は大変な秀才で、神戸では有名なH学園という進学塾のトップグループにいます。嘗てはこの五右衛門君もそこで将来(?)の地盤を固めるべく勉学に勤しんでいたのですが、聞くところによると日を追うごとに成績は落ち、やがて在籍するのも難しくなり、いまでは家庭教師をつけて中学進学を目指しているとのことであります。
もちろん義妹夫婦の気持ちも昨今の公立中学の荒れようを思えば分からぬではありません。親心でありましょう。我が腹を痛めて生んだ子であります。誰彼へだてなくみな可愛いに違いないのですが、可愛さ余ってついつい厳しくなるということは、どこの家庭でもよくあることです。
そんなとき、たまたま他の兄弟姉妹たちが良くできたりすると、どうしても一人浮き上がってしまったりするものです。この五右衛門君も、私の目から見てどうもそんな感じに映ったのであります。

そこで話を元に戻しますが、シュン太郎を決め込んでいる彼に話しかけてみました。
「どうした、元気がないじゃないか」
「・・・」
チラッと私を見たまま無視。「そうきたか」というわけで、この手のガキ、元へ、子供を得意とする私は作戦を変えまして、彼の好きな野球の話に振ってみたのであります。
「野球やってるか?」
おやっ、という顏で私を見上げた彼は少し考えてから「うん」と答えました。
(しめしめ⋯)「おまえどこ守ってんだ」
「⋯外野」
「打順は何番なんだよ」
「⋯三番」
「へーっ、スラッガーなんだ」
この言葉に心をくすぐられたようでありまして、所詮はガキ(元へ)子供、褒められるとすぐに目の色が変わるものであります。
「おまえどこのファンなんだ」
「べつにない」
「ノリ(近鉄の4番)のファンじゃなかったのか」
「うん、まあそうだけど⋯」
などとしばし野球談義を釣りエサに彼の體を観察しておりました。感じるものがありまして、この五右衛門君に「ちょっとなァ、おまえそこに立ってみろ」といって目の前に正対させまして、肩から腰、そして脚と注意深く観察してみました。

思った通り、小学6年生に相応しくない歪みがあります。そこで彼を伏臥、仰臥にしながら触れてみたのです。普通ならキァアキァア言ってくすぐったがるものなのですが、私が触れても静かにしています。

「くすぐったくないか?」と聞いても「うん」と答えます。
私は彼の體にくまなく触れてみて驚きました。脊柱の彎曲、骨盤の歪み、そして恐ろしいまでの筋肉硬直。脊柱の左右の筋肉がアンバランスに硬直し、また股関節も弾力を失っております。
ガッセキをさせて前屈させようとしても、この歳にしては考えられないほど左の股関節が硬くて開きません。本人も痛がります。

そこで約30分間、股関節と背中の筋肉を弛める施術を行いました。この歳の子は基本的に肉体的なポテンシャルが高いということもあり、弛むのも早いものがあります。
当初は「痛い、痛い」と云っていたのに、全体が弛むに連れて、大きく前屈もできるようになりました。

「おい、すごいじゃないか」と言いますと、
おもしろいもので、彼の表情が前にも益して明るくなります。この五右衛門君は、人一倍感受性の強い子なのでしょう。そのことが彼の體に触れてよく分かりました。このようなタイプの子供は、親のちょっとした態度や言動を敏感に受取り、悪くするとそれが大きなストレスになってしまうのです。しかも、それがトラウマにまで至ってしまうことも決して少なくありません。
彼と弟は一才違いで、弟は出産時に肩関節を脱臼し、しばらく大変な時期が続いたこともあって、その後も母親の目がどうしても弟の方へ向きがちであったのでしょう。五右衛門君からすると、母親を弟にとられた気分になったことは容易に想像できます。

そうした日々の積み重ねが今日の彼の性格形成に大きく影響していることは、私のこれまでの学びの中で理解できることなのです。

しかしながら、彼は母親が好きで、日頃から将来は僕がこうしてお母さんを幸せにしてあげるんだ、などと可愛いことも申している様子などから察しますと、やはり彼は母親とのスキンシップを心の底で渇望しているに違いありません。

私がお寺で彼とそんな交流があったことを具体的に知らなかった周りの人たちですが、帰宅してから妻が「敏くんの顔つきがなんか変わった」と言っていたことを考えますと、これは子供に限らず、人間はみな誰かに温かく見つめられ、ときには触れ合うことがいかに大切であるかを思い知らされます。

葬儀の翌日、神戸に帰る彼を訪れ、私はある品物をプレゼントしました。それは私が今から20年近く前に手に入れたバット。現巨人軍監督の原氏が当時使用していたものと同じモデルの硬式バットです。このバットには「シリアルNo.002」グリップの裏には「G8」と刻印されたもので、今では絶対といっていいほど手に入らない貴重品です。幸い私はこのバットを殆ど使わずに保管しており、極めて良好な状態にあったものです。

彼に手渡すときに、このバットを心から欲しいと思うかどうか、そして、そうでなければ渡さないよ、と言いました。すると彼は「すごく欲しい」と言いました。そこで私はひとつだけ約束して欲しいと彼に伝えました。それは、「かならず毎日100スイングすること。そしてバットを大切に扱うこと」。彼は珍しくキリッとした顏で頷き嬉しそうにバットを握りしめました。
その後、私が嘗て教えられた通りに彼にバットスイングを教えたのですが、無心にバットを振る彼の表情は、寺の広間でひとりシュン太郎を決め込んでいたときとは別人のようでした。

私も子供の頃は落ち着きがなく、よくできる姉に反発して親をいつも困らせていたものです。小学校3年生の通信簿には「万事不熱心」などという親が卒倒するような評価を頂戴したりして、それこそできの悪いガキの見本みたいなものだったのです。私の姉は「あの時のあなたを見ていて、将来とてもまともな人間になるとは思わなかった」と今でも申します。この五右衛門君などは当時の私なんかと比較しますと、まだまだ良い子の許容範囲に十分はいるのであります。

そんな私が何がキッカケで娑婆で暮らせるような人間になったかはまた別の機会があればお話するとして、人間は抱きしめられた数だけ、見つめられた数だけ、活き活きとするものであります。人を見返してやりたいという思いも、結局は注目してほしいからであり、認めてもらいたいからであります。

たった二日の間に、五右衛門君の表情はかくも変わりました。相手が無邪気な子供であったこともその要因のひとつではありますが、私たち人間はみな、すべからくその素質を有していることは明らかなのです。

昨今の政治家や官僚を筆頭とした数々の不祥事を見るにつけ、その成長の過程がいかなるものであったかが容易に想像できます。

大人になると親のような眼差しで導いてくれる人は少なくなります。しかし、自らの成長、自己改革に対する興味と発心があれば、機会は自ずと現われるものであります。その一助・一機会に足法自然塾がなれましたら、そこはかとなく幸せであります。

私の2003年は、この五右衛門君からの学びで始まりました。感謝です。

(2003年1月)