人の体がなぜシンメトリニ(左右対称)になっているのか、普段はなかなか思いを抱かないものですが、考えてみるとそこに深い意味があることに気づくはずです。
在ることの意味に気づかなければ無くしてみればいい。つまり、人間は左右対称であることによって実に巧くバランスがとれ、宇宙リズムを体現できるように創られているのです。その一つに力の生まれ方があります。
皆さんが力を用いようとする時、これまでその力がどこから生まれるかを考えたことがありますか。
腕の力や足の力といった分散的な考え方をしていたのではないかと思いますが、力はすべて体の中心から出るのです。
そして、体の中心から出た力こそが最も効率よく強いものとなるのです。
これは当然のことながら足法にも適用されることであり、中心から踏圧が出るようになれば無駄な力を用いずに効率よく足法が行えるようになります。
この話は初心者の方には少しばかり難しく、また初心者が習う「乗せる足法」では中心力が十分に使いにくい面がありますので、准足士になってからそういう踏み方を習うのだと理解してください。
さて、話を続けましょう。
私は長らくこの中心圧というものについて考察を加えてきましたが、あるときフッと脳裏を過ぎったのが「思い」でありました。
「思い」と聞いて多くの方は、なぜ思いが力に作用するのかと疑問を持たれるかもしれませんが、実は大いに関係していると私は確信に至ったのです。
例えば信念のある人を見てください。その人の信念は体の右や左に感じるでしょうか。そうではないはずです。必ず真ん中にドンと居座って見えるでしょう。
これは科学的に追求しても証明可能なことだと私は考えます。
運動においてもそうなのです。ジムワークにおいても、力を入れるとき体の中心に意識を集中することによって、より多くの力が発揮されると言われていますし、私自身日々の実践を通してその理屈の正しさを認識しています。
私はここまで施療を重ねながら、どんどん無駄な力を用いなくなりました。踏まれている人が感じる圧と、私の踏み方のギャップは年々大きくなっているのです。
その要因はすべて中心圧の用い方だと考えます。そして、私が中心圧を用いるときに最も大きく作用しているのが「いかなるときも体の中心に意識を置いている」ということです。
では、体の中心とはどこかということですが、それが仙骨です。具体的には仙骨の上部、腰椎との境目辺りとでも言いましょうか。
その部分を表にすると丹田ということになります。
人間は、いざ力を発揮しようとするとき、必ず仙骨が締まっているはずです。
皆さんが押されないように身構えるときの自分を想像してみてください。どこに一番力を入れますか。よく腰を踏ん張れと言われますが、つまりこれが仙骨を締めるということなのです。
仙骨は実に摩訶不思議な骨であって、「仙」という字が当てられた意味が想像できそうです。私はこの仙骨に独特のバイブレーションを感じます。そして、このバイブレーションこそがこんな小さな足で私たちを支える基になっているのでしょう。
仙骨を意識して力を出そうとするから、その力は闊達に相手に届けることができます。その時、高いレベルの足法は、圧を加えると同時に引いてもいるのです。
引圧をもって押圧を加えるから自由に方向を定められ、深い圧を受ける側は身構えることなく(知らぬ間に)受け取ることができるのです。
私が体の姿勢を正している意味がこのことからもお解りいただけると思います。姿勢が崩れていると体の中心から圧が出にくくなります。
本人はそれが踏みやすいと考えていますが、長い目で見ると伸びしろは小さくなります。よって、常に仙骨を立てた美しい姿勢を保てるように、たとえ最初は辛くとも練習を重ねていただきたいと思います。