2009年7月26日日曜日

主に明け渡したとき、病がいやされた

横浜の延川さんは、太平洋戦争中、ニューギニヤ西部のマノクワリにいた。多くの兵士が、激戦と食糧不足、また過労に倒れ、マラリヤの高熱に苦しんだ。

延川さんも、この苦しみの中で、それまで持っていた信仰を捨てた。彼は思った。「神もへちまもあるものか。どうにでもなれ。物質こそすべてだ。米軍を見ろ。あれだけの物量があるからこそ勝てるのだ。これからは唯物主義だ」。

それまで真面目だった彼なのに、以来、部隊の食糧を盗んだり、酒・タバコをやるようになった。みんなから悪く言われるようになった。しかし彼は信仰放棄後、ますます健康を害し、悪性の吹き出物が全身にできるようになった。熱帯潰瘍と言われるものである。また、彼のマラリヤは慢性になった。二週間たって、彼の命は今日か明日までと思われるほどになっていた。

その病床で、彼の魂の奥底に「絶えず祈れ」との御言葉が響いた。彼はハッと我にかえり、息の続く限り祈る決心をした。体力は消耗の極に達している。しかし不思議に、祈ることだけはできた。今までの不信仰、神への忘恩、そのほか数々の自分の罪が、ありありと心の中に示された。彼は祈った。「神よ、赦したまえ。もし生きることが許されるなら、今度こそ、本当にあなたのために生きます」。

彼の心の中に、恵み深い神が宿られた。その時からのことである。彼は相次いで排尿をし、それとともに全身の吹き出物がひき始めた。 一夜にして、吹き出物は完全になくなってしまった。夜明けとともに、皆が驚きの目で見つめたのは言うまでもない。それから二カ月ほどで、マラリヤも完全に癒された。医者は言った。「まったく奇跡だ」。
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この文章はWeb中の「人生成功の秘訣」の中で紹介されたものです。私たちはこのような例をこれまでに耳にしたことがない人の方が少ないと思います。しかし、実感できる人もまた少ないのではないでしょうか。医者が言ったように「奇跡だ」で終わってしまいます。しかし、それは間違いです。私たちの思いは『神=大いなる力』と繋がっています。

私自身が27才のある秋の夜に、突然天空から降り注いできた光の矢によって救われた経験があります。また、29才の時には就寝したと同時「母が死ぬ」という天の声を聞きました。因に私は無宗教でしたし、また宗教や信仰に対する造詣もまったくありませんでした。しかし救われたのです。

両親の死後、私は日々祈るようになりました。にも関わらず、光は天空から降り注いではきません。その代わり、日々をよりよく生きるための直感力が向上しました。仕事を捨てたら足法がやってきたこともそのひとつなのでしょう。

祈り(=想い)は行動を生み、行動が習慣となり、習慣が人格を育て、人格が人生を実らせてくれます。人間、最後は祈りだ、ではなく、その究極の行動を日常にしましょう。そこに絶大な力が宿るのです。

2002年11月

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