2009年9月21日月曜日

命と向きあう

先日、打ち合わせ先のロビーで少し待ち時間ができ、傍らのマガジンラックから何気なく一冊の「サライ」(小学館刊・3月20日号)を手にしました。昔から好きな雑誌の一つだったのですが、その中にある助産師のインタビュー記事が掲載されており、心魅かれるものがありましたので(出版社に問い合せた時点で在庫なし)抜粋して紹介します。足法習得を目指す皆さんの琴線に触れる部分も多々あるのではないでしょうか。

プロフィール:安保ゆきの(あぼ・ゆきの)明治44年、三重県生まれ。昭和8年、津市立病院付属看護婦養成所卒業後、名古屋鉄道病院に就職。外科の看護に12年携った後、結婚退職。昭和23年、安保助産所を開業。昭和62年、勲六等宝冠章受章。関連書籍に『ぬくもりの選択 安保助産所出産日記』(浅川千香子著)がある。

──誕生の瞬間はどんな気持ちですか。
「赤ん坊を取り上げるとき、私はいつも跪(ひざまず)いて両手で受け止めるんです。親でさえもまだ触れたことがない生まれたての赤ちゃんは、ご神体と同じ。気高くて、神々しい。それをこの手で受け止めるというのは、身が震える思いがする。助産師は、新しい命に仕えるの。その命を生む母胎に対しても同じで、とても失礼な気持ちではおれない。そもそもお産は病気とは違います。太古の昔から変わらない自然な営み。自然というのは待つことなんです。母親の体の状態と赤ん坊の元気、それが一致して初めてお産が進む。人間の意思によって、早めたり引き延ばしたりするもんじゃないと思っています。お産は一日のうちで実際に満潮時に一番多い。命は満潮に生まれ、やがて引き潮とともに終わっていくもの。自然に逆らって無理をしたら、お母さんの体に辛いところが残ったり、必ずどこかに歪みが出てくるからね。助産師は産婦に寄り添い、辛抱強く時が熟すのを待つ。陣痛促進剤、吸引器もメスも使いません。母子の持つ自然の力を信じて、最大限に引き出すお手伝いをするんです」

──助産師の手技は、奥深いものなんですね。
「産婦の体を傷つけないよう、なるべく楽に生めるように手を尽くすんです。いま病院では、赤ん坊を早く取り出すために、産道の出口を切開するのが当たり前になってますね。でも時間をかけて皮膚を温め、滑らかに保ってあげれば、充分に伸びて破けることもない。傷がない分、産後の回復はじつに早い。まあ助産師の仕事を10とすれば、こうした手技は2割ほどです。あとの8割は、精神的看護。妊産婦の心のケアが一番大事なの。あの陣痛は、女にとってこれほど辛いことはない。私も長男のお産のときは本当に辛かった。これは男には絶対に分からない苦しみやわ。どこの国の女性でも産婦はみんな、なりふりかまわず、“痛い、痛い”と叫びます」

──極限状態ですね。
「その苦しみに耐えるとき、年齢も学歴もきれいな服も、表面的なものは全部こそげ落とされて、産婦はみな三歳児に戻ってしまう。とにかく誰かそばにおって欲しいんですよ。でないと耐え切れない。涙を流して痛がる産婦に向かって、“痛いのはあんただけやないよ”なんて憎らしい言葉を吐く者がいたら、それは助産婦の資格はない。私たちは絶対に“ノー”と言ったらいかんのです」

──いつも、どんな言葉をかけますか。
「“ああ、痛いなあ。もうすぐやで。さあ深呼吸したら楽になるよ。おお、あんたはいきみが上手やで。だいぶ早いわ。ほれ、もうちょっと頑張りな。もうすぐ楽になるよ⋯”産婦の心の中に入って、産婦と同じ気持ちで話を交わすの。それが一番ええ薬。腰をさすってやりながら、励まして褒めてあげる。安心して緊張がほぐれれば、産道の収縮もよくなって楽になるから、お産が進むしね」

──望まれるのは、命そのものなんですね。
「8年前、大変な難産があったの。逆子でね。片方の足が一本出たきり、そこからどうにも進まない。この体勢で無理はできん。困り果てた。すると赤ん坊は、自分の力で体をググッとひねったんです。そしたらお尻がポッと出た。ところが今度は、後頭部の出っ張りが母親の恥骨に引っかかってつかえてしまった。この状態が続けば危険や。もしこの子に万一のことがあれば助産師をやめよう。腹の中で覚悟を決めたんです。時間が刻々と過ぎる。ああ、もはや万策尽きたか⋯。そのとき、ふっと声が聞こえた。〈耳の上には突起がない〉あっそうだ。恥骨にこめかみが当たるよう赤ん坊の体をひねった。すると後頭部の食い込みがはずれて、ぽんと出た。私はそのとき、1時間くらい経過したように感じたの。ところが、“いま、どんだけかかった”と助手に聞いてみたら、“10分です”と」

──優しいお子さんだったんですね。
「夏のある日のこと、樹の枝に蝉がいるのを見つけた。蝉は殻の背を割り、いままさに外へ出ようとしているところ。私は殻をきれいに剥いてやって、再び樹にとまらせたの。ところが翌朝、蝉の亡骸が樹の根元に落ちていた。ああ、死んどる。どうしたんかな⋯。それを母親に言うと、“生物が自分の力ですることを、何でそんないらんことした”と叱られた。自然の成り行きを見守り、じっと待つことかどれほど大事か。きっと神様が、子供の私に教えてくれたんやね」

──最近は、命を軽視した出来事が多いです。
「子宝は天からの授かりもの、とはよく言ったものです。尊い命を授けてくれた、目に見えない大いなる力の加護への感謝。そして生命への畏敬の念が込められた言葉ですね。ところが最近の若い夫婦は“子供を作る”という。そんな言葉の端っこには、母体に命が宿るところから、自分たちの意思で好きにできるという驕りが見え隠れしとる。芽生えた生命を、途中で摘むのも自分の勝手。命など、どうにでもなると思っていないか。人間が自由にできるのは、性行為だけです。命というのは、そんなもんと違うんよ。人間の欲望のまま、競うようにして精巧なロボットを作りあげたとて、魂はどうやって入れるのか。そこに何か後悔が残りはしないだろうか。そういう懸念を私は持ちます」

──倫理観が問われる時代ですね。
「命の始まりと終りは、決して人間の自由にならない。そこをしっかりと心得ないと。昔は自宅出産が普通だったでしょう。家族が見守る中でお産が行われ、年寄りは住み慣れた家で亡くなっていった。それを間近に見ることで、家族は命の尊さを学んだんです。ところが現代では、人は病院で生まれ、病院で死ぬ。家庭の中から、人の生死が姿を消した。何か、大きな忘れ物をしとる。人間は歳をとると、それまで当たり前だと思っていたことの不思議に気付くんです。十月十日でこの世に誕生する命、可愛い産声。自然と溢れ出るおっぱいを無心で口に含む乳飲み子。私には、そのすべてが神業に思える。私も92歳まで丈夫で仕事をやれていることを考えると、自分の体の細胞ひとつひとつに感謝しなくては。鏡に映るたび“よう働いてくれて、ありがとう”と言ってますよ。‖
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安保さんはこのインタビューを通じて終始、“自然”であることの意味を問い質しています。私も足法を通じて、時間が経つほどに自然というものを強く意識するようになりました。私たちの命も、その自然の一部なのです。

しかし、その體の自然な働き、目に見えない細胞の自然な働きは、決して永久無限のものではありません。加齢とともに衰えます。しかし、自然に則り衰えることは、無秩序に壊れることとは違います。つまり、それは豊かな衰えなのです。ところが、手前勝手な健康求道者たちは、生命システムの深遠なる叡知に気付こうとはしません。だから病気になるとその部分だけを見つめ、命という全体には向き合わずに敵視してしまうのです。

ですから私は施療に際していつも、患者さんが「神の叡知と一体になれますように」と祈りますし、もっと別の表現で伝えたりもします。相手の方が、神の叡知を戴いて自らの命そのものに向き合われたとき、初めて私たちの力も届きやすくなるのです。

神の叡知(宇宙を創造した叡知)⋯。陽は昇り陽は沈み、四季は移ろい、命は生まれやがて滅す。叡知は新たな叡知を生み、すべては輪廻する。しかし、この仕組みを解き明かした人を私は知りません。それは語るものではなく、感じるものなのでしょう。壊れた人間を技術だけで治せるものなら、この長い人類の進化の中で、既に達成していたに違いありません。それができないところに人の命の意味と神秘さがあるのだと思います。

縁あって踏む人と踏まれる人が集いました。踏むとは、お互いの心と體が「富む」ことでもあるのです。足法の経験を積み重ねるほど、技術だけに頭が支配されることなく、もっともっと自らの感じる力に心の耳を傾けていただきたいと願っております。

人の體は、いつも声を発しています。それを施療する側と、される側の当人が共に聞き届けて共鳴し合うところから、命は本来の力を取り戻そうとし、寿命を全うしようとする、私にはそのように感じるのてす。

毎日、TVの戦争報道に登場するイスラムの自爆死。方や、暴飲暴食とストレスで病死していく先進国の人間たち。前者にとって死は幸福となり、後者にとっては耐え難い恐怖となります。しかし、私にはその二つの死に、安保さんの「命の始まりと終りは、決して人間の自由にならない」という言葉が重なります。カタチは違えども、両者は神から授かった寿命に、意識・無意識的に手を加えているように見えてならないからです。

(2003年4月)

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