2009年5月5日火曜日

出逢い

足法を通じて、今日ここに、このように見知らぬ人たちが集っていますが、この広い日本の中で、いや世界の中で、因りによって集ったことは、果たして単なる偶然でしょうか。私はそういう考え方には立っていません。私と皆さんは、大いなる力、偉大なる叡智の導きによって、ここに出逢うことになったのだと思えてならないのです。

私もまた足法をみなさんにご指導させていただくまでに、必然的な出逢いが幾つもあり、その上で今日という日を迎えています。

これは私にとりましても、また皆さんにとりましても好機であるわけでして、この好機を明日からの暮らしの中で活かすことができるか否かが一人ひとりにとっては大変重要な意味をもつことになります。

かねがね私が皆さんに申し上げてきたことは、私は私の役目としてみなさんに足法をご指導しているにすぎないということです。まずなによりも、誰よりも私は足法という整体法が好きで、またその効果を高く評価し、惹かれ、追求・研究・実践している人間なのです。

これまで私は足法を通していろいろな人と出逢ってきましたが、中にはこんなタイプの人がいます。せっかく足法を学ぶ機会を得たにも関わらず、ちっとも楽しそうでなく、逆に不愉快にやっておられる。顏には、こんなことをやって果たしてどれほどの効果があるのやら??? と書いてある。また、ずっと足法を習っておられる方で、こんな症状なんだけれどもちっとも良くならない。何か良い方法はないか。

そうした人々に触れるたびに、人間の猜疑心の深さと依存心の強さに愕然とします。そのような方は、何に相対しても、まるで賭けでもするがごとく、「ほんとうに効くの?」というような姿勢で臨みます。

このような方たちは、多くの場合、あちこちの健康法に首を突っ込んでは効果のなさを相手のせいにし、自分の不幸を嘆き落胆するという共通点を見て取ることができます。

身体が痛い、しんどい、死んでしまいたいほど苦しい、そうした状況にある人は、もう藁をも掴む気持ちで治療者や治療法を追い求めているわけです。その気持ちはよく分かりますが、だからこそ、ひとつひとつの出逢いを疎かにするのではなく、そこには深遠な意味があり、天が与えてくれた好機なのだと受け止め、そして信じて継続していただきたいのです。禅病に罹ったかの名僧・白隠禅師ですら、その克服には年月を要したのです。

焦らず、怖れず、怒らずに、ひと足・ひと足、喜びと希望と祈りを込めて踏み、そして踏まれていただきたいと願っています。そのような姿勢は、間違いなく私たちに宿る自然治癒力を高め、細胞に活力を与えてくれます。健康は自らが勝ち得るもの、という考え方の根本がここにあると私は考えています。

2002年4月

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