2009年3月19日木曜日

足法元年は、青春元年

『青春』(原作:サミエル・ウルマン、邦訳:岡田義夫)

 青春とは人生のある期間を言うのではなく、心のようそう様相を言うのだ。優れた創造力、たくま逞しき意志、炎ゆる情熱、きょうだ怯懦をしりぞ却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
 くもん苦悶やこぎ狐疑や、不安、恐怖、失望、こういうものこそあたか恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をもあくた芥に帰せしめてしまう。
 歳は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめくせいしん星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対するきんぎょう欽仰、事に処するごうき剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、ひたん悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉のあつごおり厚氷がこれを堅く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。

怯懦:臆病で意志の弱い様子
狐疑:あれこれ疑問を抱いて決心がつかない様子
芥 :ごみ・ちりの意
星辰:星の意。漢語的表現
欽仰:うやまい仰ぐ意
剛毅:気性が強く物事にくじけない意

言わば足法元年とも云える2002年の始まりに、私はサミエル・ウルマンの「青春」という詩を選びました。この「青春」の詩は、ウルマンが70代で書いたものです。この詩の一部を知っている人は多いと思いますが、全編を読んだ方は意外と少ないのではないでしょうか。

彼は1840年4月13日、ドイツのヘヒンゲンでユダヤ人の両親の長男として誕生しました。その後、両親と共にアメリカに移民し、教育者として、またユダヤ教のレイラビ(精神指導者)として、或いは実業家として幅広く活動しました。そして、晩年になって数編の詩をつくりました。この「青春」の詩は1922年に家族が発行した詩集「80年の歳月のいただき頂から」の巻頭に記載されたものです。ウルマンはこの詩集が発表された2年後の1924年3月21日に84歳でこの世を去りました。

この詩に魅了された人たちのなかには、日本駐留米軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーや、ジョン・F・ケネディといった名前を見つけることができます。

私が初めてこの詩に触れたのは確か高校生の頃だったと記憶しています。それ以来、忘れた頃に触れ、そしてまた忘れた頃に触れながら、徐々に記憶の片隅で親しさと共感を増しつつ今日を迎えました。歳を重ねる毎にこの詩は、強く、そして清廉な波動を放射しながら私を勇気づけてくれます。

なにかと暗い話題の多い昨今の日本にあって、私たちが忘れ、失いかけている大切な心の在り方を、この詩に触れることで一人でも多くの方々に取り戻すキッカケになっていただければ幸いです。

2002年は足法元年、足法という小さな小さな歴史の始まりであり、それと同時に当塾に集い、この場で自らを修め、解放していく皆さまにとりましては第二・第三の青春元年でもあってほしいと私は心より願っております。

筋肉の智恵

筋肉にも心がある

精神的ストレスによって呼吸筋が影響を受け、呼吸が浅く、速くなることは誰にも経験のあることですが、精神的緊張は呼吸筋だけではなく、全身のすべての筋肉を緊張させています。眉間の皴も、顏のこわ張りも、首や肩の凝りも、それらの全てが、硬くこわ張った心の反映なのです。

すなわち、筋肉は「心のメッセンジャー」とも、「筋肉には心がある」とも云えるのです。精神的ストレスは、意識できるものの他に、誰しもその何倍も、何十倍ものものが、潜在意識の中にある考えられています。

ふつうストレスの元になっている感情や思いをコントロールすることは、なかなか難しく、ましてや潜在意識下にあるものは(これまでの西洋医学的見地では)どうするともできません。しかし、どんな思いが心の内にあろうと、意識的には顔のこわ張りをとり、肩の力を抜いて、ゆっくり長い呼吸はできるはずです。つまり、普段の生活の中で、いつの間にか不隋意的な支配下にある自律神経系が、交感神経系優位の状態になっているものを、随意的に呼吸コントロールし、筋肉を緩めることによって副交感神経系を優位な状態にすることができるのです。


筋肉を意識する

日頃私たちは、胃にしろ、腸にしろ、頭にしろ、どこかが痛いとか辛いとか感じるとき以外、殆ど自分の体を意識することがないと思います。それらの存在を忘れているときにこそ健康であると云えるように思いますが、先に述べたように、無意識下においては、殆どの場合、交感神経系が優位に立ち、浅く速い呼吸をし、体中の筋肉をこわ張らせているのです。

よく耳にする、ストレッチも、歪みの矯正も、呼吸法も、それらの全ては、「筋肉を意識する」ということに繋がります。そしてまたそれらの全ては、筋肉の緊張を緩めるということに繋がるのです。そのことによって、交感神経系を抑制し、副交感神経系優位な状態にすることができるのです。

折りに触れ、頬を緩めて笑顔をつくり、肩の緊張を解いて、ゆっくりと穏やかな呼吸をすることこそ健康への道であると考えます。因みに、ほお骨の下の凹みには若返りのツボがあり、そこを日頃から刺激することをお勧めします。それを自然に行っているのが笑うという行為なのですよ。だから、若返りたかったらよく笑いましょう。


(参考文献:大阪市立大学保健体育科研究室・資料)

2009年3月17日火曜日

イライラ、クヨクヨはカラダを蝕む

東北で開催された足法講習会でのことです。私が出ていくと、みなさん食い入るように私を見つめています。足法の先生とはいったいどんな奴なんだ、どんな立派な話をしてくれるんだ、といった感じです。こちらも人間です。そんなとって食ってやるぞと言った雰囲気では、せっかく癒されに来た人たちと楽しい時間を過ごせません。そこで私は集まった受講者の皆さんを前に、「今日は、みなさんお一人お一人に前に出てきていただき、自己紹介をしてもらいます」と云ったところ、それまでの態度がパッと変わって、いきなり参加者の顏や体にピピッと緊張が走るの感じました。そう言って10秒ほど黙って全体を見回していますと、私の魂胆に気付いたらしい人が笑みを漏らし、やがて皆さん納得されたように笑顔に変わっていきました。

今日は筋肉のお話をしましょう、と云った直後の私の発言の意図が理解できたのでしょう。まさに百聞は一見に如かず、です。そのちょっとした実験で、もう皆さん筋肉がいかに瞬時に硬直したり、逆に弛んだりするかが体感として理解できたのだと思います。

私はよく「想い」が大切と云います。私たちの脳は、現実の出来事とイメージしたものとの区別がつかないと医学の世界では報告されています。私との会話に夢中になってた友人が、かき氷を口元に運んだ瞬間「熱ちッ」と云ったことがあります。唇に伝わった刺激を、彼の脳は「熱い物」とイメージしたのでしょう。

脳は、心地よい刺激には快楽ホルモンが分泌し、不快な刺激にはアドレナリンやノルアドレナリンを分泌します。山を歩いていて「熊だ!」とか、夜中に突然「火事だ!」なんて恐怖を感じたときにはアドレナリンが分泌されます。一方、ノルアドレナリンは激怒したりすると出るホルモンで、この二つは言わば非常事態を乗りきるための重要なホルモンとも云えるのです。

問題は、この二つのホルモンが年がら年中体内を巡っている状態は危険だということです。怒ったり、恐れたり、クヨクヨしたりと、とにかくネガティヴなことばかり考えて落ち込んでいると、このホルモンが含む猛毒にやられて、免疫力の低下や老化が進み、大病を患ったり早死にしてしまう可能性があるのです。(因に最小致死量は、体重1㎏当たり1㎎以下。蛇の毒より強いと言われたいます)

ノルアドレナリンもアドレナリンもサリン程の猛毒の分子であり、過剰分泌が問題視されています。不平不満・愚痴・悪口の巣窟のような人はもう大変てすね。そこで皆さんに思い出していただきたいのが「想い」の活用、つまり脳の用い方です。

脳は左右で役割が違っており、左脳で緊張し、右能でリラックスします。怒ったり、落ち込んだり、ねた嫉んだり、恨んだりしていると左脳優位になり、ノルアドレナリン漬けになります。ですから右能優位にもっていく必要があります。それには腹式呼吸がもってこいです。つまり、瞑想をするときの呼吸です。息を吸うときは交感神経が刺激され、吐くときは副交感神経が刺激されます。ですから呼気を長—くすることで、副交感神経が優位に働き、イライラやクヨクヨ、ムカムカが鎮まっていきます。そうすると右能優位の落ち着いた気分になってきます。

自然流体操にも瞑想に勝るとも劣らず、右能を活性化するパワーがあります。顏も体もダラーッと力を抜いて、10分〜30分、無心にクネクネするのです。このクネクネ中にα波が脳から出て三昧の境地に入っていくことができます。筋肉が弛めば持てる自然の力を存分に発揮してくれます。怒らず、恐れず、拘らず、強く、明るく、元気よく、今日一日に感謝しながら、自分らしくワクワクすることを優先してやりましょう。健康は、その後からついてきます。体内では、私たちの想像を超えた奇跡が毎日のように起こっているのですから。