2009年8月17日月曜日

五右衛門君からの学び

2003年も当然の如く、明ければ過ぎゆく習わし通り18日を数えます。みなさんは、どのようなスタートを切られたことでしょうか。

私はと云いますと、1月6日に義父が亡くなりまして、私の家内が男なしの長女ということもあり、その助っ人に数日間バタバタとした日々を過ごしました。

8日に谷中の常在寺という日蓮宗のお寺で葬儀を行いましたが、そのときのエピソードをひとつ。と申しましても、葬儀のことではありません。家内の妹の長男(中学受験を目前に控えた)のことなのです。

この少年、常日頃から非常に元気が良いと云えば体裁はいいのですが、実は母親の言うことを聞かず、いつも暴れ放題にとっ散らかっているような子なのです。

この日も予想通り、母親や祖母、はたまた私の家内の言いつけなどどこ吹く風、シンと静まり返った寺に到着するなり、弟・妹にちょっかいを出し、その行為はどんどんエスカレートし、やがて襖をも破くかの大音響が境内に鳴り響いたのを聞いてついに母親は堪忍袋の緒が切れたのでしょう。スッと私たちの前から消えました。

やがて日蓮をも脅かすかの悪魔の宴は鳴りを潜めました。5分、そして10分、弟と妹はニコニコ顔で行き来するのですが、いっこうに主役の姿は見えない。

そこで私は厠に立つ振りをして隣の広間を覗いてみますと、まるで牢獄にぶち込まれた石川五右衛門のごとく胡座をかいたまま、青白い顏で俯いています。その横顔にかつての私自身を見る思いが⋯。

この話に必要な補足説明を加えますが、彼の弟は大変な秀才で、神戸では有名なH学園という進学塾のトップグループにいます。嘗てはこの五右衛門君もそこで将来(?)の地盤を固めるべく勉学に勤しんでいたのですが、聞くところによると日を追うごとに成績は落ち、やがて在籍するのも難しくなり、いまでは家庭教師をつけて中学進学を目指しているとのことであります。
もちろん義妹夫婦の気持ちも昨今の公立中学の荒れようを思えば分からぬではありません。親心でありましょう。我が腹を痛めて生んだ子であります。誰彼へだてなくみな可愛いに違いないのですが、可愛さ余ってついつい厳しくなるということは、どこの家庭でもよくあることです。
そんなとき、たまたま他の兄弟姉妹たちが良くできたりすると、どうしても一人浮き上がってしまったりするものです。この五右衛門君も、私の目から見てどうもそんな感じに映ったのであります。

そこで話を元に戻しますが、シュン太郎を決め込んでいる彼に話しかけてみました。
「どうした、元気がないじゃないか」
「・・・」
チラッと私を見たまま無視。「そうきたか」というわけで、この手のガキ、元へ、子供を得意とする私は作戦を変えまして、彼の好きな野球の話に振ってみたのであります。
「野球やってるか?」
おやっ、という顏で私を見上げた彼は少し考えてから「うん」と答えました。
(しめしめ⋯)「おまえどこ守ってんだ」
「⋯外野」
「打順は何番なんだよ」
「⋯三番」
「へーっ、スラッガーなんだ」
この言葉に心をくすぐられたようでありまして、所詮はガキ(元へ)子供、褒められるとすぐに目の色が変わるものであります。
「おまえどこのファンなんだ」
「べつにない」
「ノリ(近鉄の4番)のファンじゃなかったのか」
「うん、まあそうだけど⋯」
などとしばし野球談義を釣りエサに彼の體を観察しておりました。感じるものがありまして、この五右衛門君に「ちょっとなァ、おまえそこに立ってみろ」といって目の前に正対させまして、肩から腰、そして脚と注意深く観察してみました。

思った通り、小学6年生に相応しくない歪みがあります。そこで彼を伏臥、仰臥にしながら触れてみたのです。普通ならキァアキァア言ってくすぐったがるものなのですが、私が触れても静かにしています。

「くすぐったくないか?」と聞いても「うん」と答えます。
私は彼の體にくまなく触れてみて驚きました。脊柱の彎曲、骨盤の歪み、そして恐ろしいまでの筋肉硬直。脊柱の左右の筋肉がアンバランスに硬直し、また股関節も弾力を失っております。
ガッセキをさせて前屈させようとしても、この歳にしては考えられないほど左の股関節が硬くて開きません。本人も痛がります。

そこで約30分間、股関節と背中の筋肉を弛める施術を行いました。この歳の子は基本的に肉体的なポテンシャルが高いということもあり、弛むのも早いものがあります。
当初は「痛い、痛い」と云っていたのに、全体が弛むに連れて、大きく前屈もできるようになりました。

「おい、すごいじゃないか」と言いますと、
おもしろいもので、彼の表情が前にも益して明るくなります。この五右衛門君は、人一倍感受性の強い子なのでしょう。そのことが彼の體に触れてよく分かりました。このようなタイプの子供は、親のちょっとした態度や言動を敏感に受取り、悪くするとそれが大きなストレスになってしまうのです。しかも、それがトラウマにまで至ってしまうことも決して少なくありません。
彼と弟は一才違いで、弟は出産時に肩関節を脱臼し、しばらく大変な時期が続いたこともあって、その後も母親の目がどうしても弟の方へ向きがちであったのでしょう。五右衛門君からすると、母親を弟にとられた気分になったことは容易に想像できます。

そうした日々の積み重ねが今日の彼の性格形成に大きく影響していることは、私のこれまでの学びの中で理解できることなのです。

しかしながら、彼は母親が好きで、日頃から将来は僕がこうしてお母さんを幸せにしてあげるんだ、などと可愛いことも申している様子などから察しますと、やはり彼は母親とのスキンシップを心の底で渇望しているに違いありません。

私がお寺で彼とそんな交流があったことを具体的に知らなかった周りの人たちですが、帰宅してから妻が「敏くんの顔つきがなんか変わった」と言っていたことを考えますと、これは子供に限らず、人間はみな誰かに温かく見つめられ、ときには触れ合うことがいかに大切であるかを思い知らされます。

葬儀の翌日、神戸に帰る彼を訪れ、私はある品物をプレゼントしました。それは私が今から20年近く前に手に入れたバット。現巨人軍監督の原氏が当時使用していたものと同じモデルの硬式バットです。このバットには「シリアルNo.002」グリップの裏には「G8」と刻印されたもので、今では絶対といっていいほど手に入らない貴重品です。幸い私はこのバットを殆ど使わずに保管しており、極めて良好な状態にあったものです。

彼に手渡すときに、このバットを心から欲しいと思うかどうか、そして、そうでなければ渡さないよ、と言いました。すると彼は「すごく欲しい」と言いました。そこで私はひとつだけ約束して欲しいと彼に伝えました。それは、「かならず毎日100スイングすること。そしてバットを大切に扱うこと」。彼は珍しくキリッとした顏で頷き嬉しそうにバットを握りしめました。
その後、私が嘗て教えられた通りに彼にバットスイングを教えたのですが、無心にバットを振る彼の表情は、寺の広間でひとりシュン太郎を決め込んでいたときとは別人のようでした。

私も子供の頃は落ち着きがなく、よくできる姉に反発して親をいつも困らせていたものです。小学校3年生の通信簿には「万事不熱心」などという親が卒倒するような評価を頂戴したりして、それこそできの悪いガキの見本みたいなものだったのです。私の姉は「あの時のあなたを見ていて、将来とてもまともな人間になるとは思わなかった」と今でも申します。この五右衛門君などは当時の私なんかと比較しますと、まだまだ良い子の許容範囲に十分はいるのであります。

そんな私が何がキッカケで娑婆で暮らせるような人間になったかはまた別の機会があればお話するとして、人間は抱きしめられた数だけ、見つめられた数だけ、活き活きとするものであります。人を見返してやりたいという思いも、結局は注目してほしいからであり、認めてもらいたいからであります。

たった二日の間に、五右衛門君の表情はかくも変わりました。相手が無邪気な子供であったこともその要因のひとつではありますが、私たち人間はみな、すべからくその素質を有していることは明らかなのです。

昨今の政治家や官僚を筆頭とした数々の不祥事を見るにつけ、その成長の過程がいかなるものであったかが容易に想像できます。

大人になると親のような眼差しで導いてくれる人は少なくなります。しかし、自らの成長、自己改革に対する興味と発心があれば、機会は自ずと現われるものであります。その一助・一機会に足法自然塾がなれましたら、そこはかとなく幸せであります。

私の2003年は、この五右衛門君からの学びで始まりました。感謝です。

(2003年1月)

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