2008年9月18日木曜日

ノーシーボ

 第二次世界大戦前のヨーロッパで、ある実験が行われた。ブアメードという一人の死刑囚がいたのだが、彼は、医師から医学の進歩のためと、ある危険な実験を持ちかけられ、考えた末それを受け容れた。

その実験の目的とは、人間の体重の10%が全血液量と云われているが、医師たちはそれ以上であると考えており、そのことを証明したいということだった。

かくして実験は開始され、死刑囚の足の全指先が小さく切開された。そこから血液が足元に用意された容器に落ち、その音が実験室内に響き渡った。

ブアメードには1時間毎に累積出血量が告げられた。やがて実験開始から5時間が経ち、総出血量が体重の10%を超えたことを医師が告げたとき、この死刑囚はすでに死亡していた。

しかしながら、この実験では、1ccの血液すら抜き取っていなかったのだ。死刑囚には、足の指先を切ったと思い込ませ、ただ水滴の音を聞かせて、体内の血液が失われていると思い込ませていただけだった。これが「ノーシーボ」といわれる現象である。

この実験が何を意味しているかと言うと、「心と身体は本来別々ではない」ということである。つまり、否定的な暗示によって人間は命をも失うのだ。この実験の場合は、「全体重の10%の血液が失われると死ぬ」という暗示である。

この「ノーシーボ」には相対する言葉があり、これを「プラシーボ」と言う。プラシーボ効果という表現は、比較的多くが耳にしているはずだ。

 プラシーボ(placebo)とは、日本語では「偽薬」と訳されるが、語源であるラテン語(placeo)は、単に「喜ばせる」という意味であり、「偽」という意味はないという。医者から見て不要な薬を欲しがる患者を「喜ばせる」ための、気休めの薬という意味であったとされている。

さて、私はよく「想い」という言葉を口にする。「想い」は、私たちの肉体に現われる様々な現象の元になっている、というのが私の確信であって、この「想い」を上手に活用することで、奇跡のようなことも現実に起こりうると言いたいのだ。

ということは、「想い」を悪い方向に用いてしまうと、先のブアメード実験「ノーシーボ」のようなことが起こるわけだ。

足法をやっていると、よくいろんな人から病気の質問を受ける。ここが痛い、あそこが悪い、なかなか良くならない⋯etc. 

そんな質問をされる人たちをよくよく観察してみると、自らその症状に対する答え「否定的信念としての自己暗示」を持っているように感じることが多い。つまり、そのことが症状の改善を大きく阻んでいたりするのだ。

ハーバート・ベンソン氏(ハーヴァード大学医学部心身研究所・所長)は、「ノーシーボ現象は、我々の医学が著しく軽視してきた問題である。医師に助けを求めてくる患者の60〜90%は薬も手術も役に立たない。従って、信念体系を含む心身を制御する技法が求められている」と述べている。

また医学界のある研究者は「心身を分けて物事を考える西洋哲学の系譜から生まれた西洋医学が、この効果の解明に苦労しているのはもっともなことである」とも語っている。

私はかねがね、足法の実践に「想い」の活用を加えたいと強く思っていた。今後は、その効果を現実的にみなさんにも感じ取っていただけるよう展開していきたいと考えている。ただ「効く」と思うだけでは力不足であって、「効く」という思いに足る信念を確立していくことこそが重要なのだ。

その信念はどこから生まれるのかというと、それは日々の鍛練を通した実感である。この実感を得るための修行の場が足法自然塾であり、多くの氣を集中させて「場」に活力を与え、みなさん一人ひとりがプラシーボ(力を与える人)になっていっていただきたいと願っている。

当初は余計なことを考えずに、ひたすら踏み方を覚えていただきたい。まずは正しく順番通りに踏めるようになることが大切である。そして、ステップ毎に、より深く感じながら踏めるようになることが求められる。

ただ技術だけを追求していては、なかなか感じる領域に立ち入ることはできない。「想い」を十二分に活用しながら、能力を最大限に引き出していこう。そして自らからの内に潜む「ノーシーボ/否定的な暗示」を排除し、当塾で身に付けたものを日々の習慣へと昇華させて頂きたいと願っている。

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