2008年9月10日水曜日

愚かさ

 『気づき』と一口に言ってもなかなか具体的に理解できるものではありません。それができるくらいなら、人生、そんなに迷わず誰もがちゃんと生きています。

 “癒し”という言葉が社会に溢れ出したとき、同時期に『気づき』という言葉もよく耳にするようになりました。
 
  気づけば人生が変わる、すべてが変わるというわけで、いろんな本が書店に並びました。宗教関係の本、ニューエイジ関係の本、はたまた医学関係の本⋯。しか し、どんな本を読んでもちっとも『気づく』ことはできません。むしろ混乱するばかりです。そして、自分には『気づく』能力そのものがないんだ、とさえ思う ようになったりもします。

 私の性格は、どちらかというと、これはという関心事に対しては、とことん追求する傾向があり、『気づき』に対しても随分追い求めてきたように思います。なんでもへこたれずに(好きで)一生懸命やっていると、答えは向こうから自然に、そして突然やってくるものです。
 
  私にもやってきました。私の場合、気づいていたことに気づいた、というのが始まりです。人間誰しも、瞬間的には気づくことが多々あります。かたちは閃きで あったり、心からの納得であったりするわけです。しかし、残念ながらそれが継続しません。ですから時間の経過とともに忘れてしまい、また同じ失敗を繰り返 してしまいます。

 私がいちばん最近気づいたことは、「自らが傷ついていた」ということです。よくよく振り返ってみますと、その影響が、 これまでの私の人間関係に顕著に表れていました。そこから私が何を学んだかと言いますと、「自らの愚かさ」です。愚かさといっても、普段なにか失敗したと きによく口にする「私ってバカね」という類いのものではありません。人間の持つ本質的な愚かさに気づくということです。

 本質的にと書くと、私は根っからの愚か者のように思われてしまいますが、実はそうなのです。根っからの愚か者なのです。

 これまでおおよそ誉められない行為をたくさん行ってきていたにも関わらず、会社では人の上に立って分かったようなことを言って「まったくあいつは⋯」なんて(自分の意識とは別に)他人を指摘し、驕っていたのです。

 しかし、『気づき』とは恐ろしいもので、自らの醜さも良いところもすべて観ることになるわけです。私の場合、何が辛かったといって、猜疑心と恐怖心にまみれて生きていた自分が観えたときです。

 辛い辛い、苦しい苦しい、だけどそこから目を離さずにカッと観つづけてていると、陰極まって陽となる通り、遂には自分の長所もたくさん見えてきました。

 そのとき、私は涙が止めどなく流れたことをよく覚えています。しばらくそんな日がつづいて、その間、ずっと私にこれまで起こった具体的なイメージが浮かび、その度に涙を流していたように思います。

  その涙の理由は、私がそれまで許せなかった相手、嫌いだった人たちのすべてに「縁」を感じたからです。その人たちと出逢った意味が私の心にジワっと届いた からです。何かの心理的要因でこちらに聞く耳、理解しようする謙虚さを持ちえることができなかったために、相手が自分にとって嫌な、煩わしい人に映ってい たのです。

 聞けばどうってことのない話ですが、「愚かさ」に気づくって、とても大切であり、幸せなことだと思います。なぜなら、権威や肩書き、あるいはプライドといった俗物的なものから開放され、心に真の自由と活力を与えてくれるからです。

 なぜ私がこうしたテーマを持ちだしたかと言いますと、足法自然塾に集まってこられた方の中にも同様の苦しみを持っていることが少なからず私に感じられるからです。

 足法をやりながら(見た目には解らなくても)フーフー言っておられる方がいます。しかし、体力的にフーフー言ってるわけじゃない。心の中がフーフー言ってらっしゃる。

 相手に踏み方について指摘されると、どんどん気持ちが萎えていく人がいます。逆に、心の中で傷ついたプライドを必死に押し隠そうとする反動で、気が頭に上がりっぱなしの人もいます。

 ここは足法を学ぶ場所。技法を修得し、同時に心と体を鍛練する場所です。ここで学ぶ人たちに上も下もありません。例え資格が違っても、それは熟練度=学ぶ時間の差であって、もちろん人間性の差ではありません。

 健康をめざす者、健康に携わる者、何事も率直でありたいと思います。表裏なくコミュニケート(対話)することが肝腎です。

 指摘する側にも、される側にも、資質が問われていることを忘れないでください。「なんの資質?」という質問は愚問ですよ。なぜなら、人を癒すためにここにいるのですから。

  さらに言うなら、あなたの態度ひとつ、言葉ひとつで、相手は緊張したり、弛んだりすることを忘れないでください。さらにさらに言うなら、「愚か者」である ことを常に思いだしてください。当塾を一歩外に出れば、あなたは偉い肩書きの持ち主かもしれません。しかし、「愚か者」であることに変わりはないのですか ら。自らの愚かさに気づいたとき、初めて相手の愚かさを許せます。

 『気づき』がもたらしてくれる、もうひとつのいいこと。それは体をアルカリ性に整えてくれることだと私は考えています。

 病気の重要な一因は、体が酸性に傾くことです。死体は極酸性といいます。酸性になるとバクテリアが発生します。つまり、人間の体が酸性に傾くことは、死に傾くことを意味し、細胞に死への準備をさせるのではないか。そのひとつの表れが細胞の変化、つまり癌化等です。

 まず食物が大事です。普段から食べ物に気を配り、旬のものを旬にいただく。暴飲暴食・偏った動物性蛋白の摂取を避け、明るく、楽しく、和やかに、愚かさを愛して生きましょう。そうすると、気血が巡り、自律神経が整い、私たちの細胞は年齢以上に活力を取り戻すのです。

(了)
01.03.16

0 件のコメント: