2008年11月7日金曜日

真の勝者

森羅万象すべからく、つくられたものには設計図がある、というのが私の考え方です。だから、壊れた時計を時計職人は直すことができるのです。こうした考え方は、私たち人間にも同様に適用できます。

私たち人間をつくったのが誰か、残念ながらその正体を知る者はこの世に一人も存在しません。しかし、私たちは現に生存しており、その意味するところは、創造した知性もまた確かに“ある”ということです。

つまり、その知性は、人間の仕組みをイメージし、設計したのです。であれば当然のごとく壊れた、言い換えるならば、病気になった私たちを治(直)す方法も解っていることになります。そして、その設計図は、神性を備えた人間の「潜在意識」に記録されたのだと、諸説と経験から私は推察しています。

つまり、良くも悪くも私たちの潜在意識は私たちの思った通り、命令した通りの現実を提供しているということになります。ならば、恐れを捨てて、普段から、善と健康と富を潜在意識に求めればいい。私たちが潜在意識の力を信じて心から祈るとき、俗にいう奇跡は現実のものとなるのだと、私は考えています。いや、直感的に感じ取っています。

潜在意識という言葉を知らない人は、おそらくここにはいないでしょう。それどころか、とても詳しく知っている方ばかりかもしれません。しかし驚かされることは、知っているだけ、記憶にあるだけ、という人の多さです。つまり、認知はしていても受け容れておらず、常識という色眼鏡が潜在意識に対して「不信」という期待を常に刷込んでしまっているのです。

私が潜在意識に強く関心を持ち始めたのは、今から5年程前のことです。自分の思っていることが不思議と現実になっていくような気がして、客観的に自分の思考と、現実に起こることを見つめ始めました。その結果、言葉では表現しきれない関係性を感じ取り、それ以来意識的に時間と場を定めて想いを選ぶようにしたのです。当初は、まだまだコントロールが下手でしたが、それでも極めて興味深い結果を得ることができました。

世界中の権威ある精神科医や心理学者、はたまた工学系の科学者までが潜在意識は活用できることを公に発表しています。私はそれを実践的、経験則的に語っているに過ぎません。確かにそういうことはあるのだと。

私が長年勤めた会社を辞め、新たな人生を歩き始めた切っ掛けも、当然のごとく、この潜在意識が大きく関わっています。母の死後(14年前)、仏縁を頂いて頻繁に瞑想するようになり、その瞑想が私の潜在意識の扉を開いたのかもしれません。あるときから、子供の頃の夏休みの光景が繰返し脳裏を過るようになりました。また、あるときは、定年を迎えて寂しく肩を落として一人座っている自分の未来の姿が見えたりもしました。そして、脳裏に、こんなことをするために生まれてきたのか、という呼びかけが去来するようになって、その後少しずつ心の整理ができたのです。

いま私は、心苦しいストレスをあまり感じていません。当然のごとく、確固とした収入や、肩書きなどはすべて失いました。しかし、勇気をもってコップの水を捨てたとき、確かに新しい水が注がれたのです。

いま、ご縁をいただき足法に取り組み、多くの人々と接しながら、そこはかとない幸せを感じています。その理由は、ただ単に当塾に参加される受講者数が増えたからではなく、好きな足法を実践できる場所を得、そして、同じ気持ちを共有できる人々と立場を超えて楽しい時間を過ごせるからです。

私たちはみな幸せを求めて人生を彷徨います。しかし、常にどこか幸せではない自分に不満を持って生きています。そんな方に私は云いたいのです。あなたが真に幸せになりたいのなら、無邪気にワクワクすることは何かを見つけたほうがいいと。そして、そのワクワクを仕事、趣味の隔てなく思いっきりやることです。そんなあなたを潜在意識が感知したとき、あなたの人生が幸せにならないはずはないのです。そして、その姿こそが、私には人生の「真の勝者」に見えるのです。

付け加えますが、よく末期の癌が治ったという人がいますが、こういう人は私から見て潜在意識の扉が開いた人だと思います。あらゆる概念から解放されて達観に至ったとき、本来消えるはずのない癌細胞すら消えてしまうのだと、これもまた直感的に思えてならないのです。

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