8年程前に読んだ本(「一回限りの人生」清水榮一著、PHP出版)の文中に大変興味深い一節があり、今でもたまにフッと頭を過ることがあります。
昔、四国の丸亀に一人の老婆がおり、この老婆のマジナイが病気に良く効くということで大評判になったそうです。そのマジナイとは、「大麦小豆二升五銭/おおむぎ しょうず にしょう ごせん」というもので、このマジナイを三回唱えて病人の患部を擦ると、どんな病気もたちまち治ってしまったといいます。
しかし、この話には落ちがありまして、ある時その場に立ち寄った一人の僧侶がそのマジナイを聞いて、金鋼経にある「応無所住 而生其心/おうむしょじゅうにしょうごしん(応に住まる処無くして其心を生ず)」であることが分かったのです。
「住まる処が無い」というのは、心が一ヶ所、一つに留まって淀まないこと、執着しないこと、拘らないことであり、そこに「其心を生ず」、つまり無碍自在の心の働きが現われるという意味です。
私はこの話に触れて、お経の「読み方、音」についてそれまでの疑問がスッと消えていく思いがしたのです。お経は、もともとお釈迦様が説法されたとするものを、後々にまとめられたものですが、そのお経は当然インドの言語で書かれています。
玄奘三蔵法師をはじめ多くの僧侶が苦労の末、インドから中国へお経を持ち帰り、そこで中国語に翻訳されました。そして、直接的・間接的に日本に入り、私たちは現在日本語の発音でお経を読んでいます。
お経は原語・原音で読まなければ意味がないと強調する人もいますが、この「おおむぎ しょうず にしょう ごせん」の話を聞きますと、大事なことは音や文字そのものよりも、そこに託された意味をありのままに信じる気持ちなんだということが、私にはよく分かります。
大阪にある浄土宗洗心寺のご住職からも、かつてこれと似たお話を聞いたことがあります。無学な老婆がいたそうです。その老婆がご住職に「どうしたら成仏できるか」と尋ねました。ただひたすら無になって南無阿弥陀仏と唱えなさいと言うと、本当にそれからというもの毎日熱心に念仏を唱えたらしいのです。それ以来、ご住職が見るたびに彼女は仏様のような邪念のとれた美しい顔に変わり、やがて幸せに天寿を全うしたそうです。
その話に付け加えてご住職が私に優しい口調で言いました。「立派な肩書きをもっている人ほどダメですね。頭で考えすぎて肝心なものが見えないのです。その点、あのお婆さんは立派でした。私の言ったことを、ひたすら信じて念仏を唱えつづけましたからね」と。
神通力を得たという、かの久米の仙人ですら、小川のほとりで洗濯していた若い乙女の、裾をまくり上げたなまめかしい姿に欲心を起こし、天上界を飛翔中に下界を見て墜落してしまったという話があります。仙人でも囚われると失敗するのです。
足法を上手になりたい人はたくさんいますが、技術だけに執着していては限界を超えられません。会員証の裏にある「足法句」を繰り返し読んで心に焼き付けていただき、その意味するところに向かって精進して頂ければ、いつの日か必ず大きなエネルギーとなって、より嵩い自分へ還っていくと私は思っております。
(2003年3月)
2009年9月21日月曜日
2009年8月17日月曜日
健康法の幽霊
ここにひとつの健康法をご紹介します。まずはよく読んでみてください。
脳卒中で絶対に倒れない法
(鹿児島県国分市養護老人ホーム慶祥の資料より)
血圧は医薬品で簡単に下げることができますが、脳卒中で倒れない方法は、現代医学をもってしても、その予防法は、ないそうです。もし一度この発作にみまわれ、倒れたら軽重の差はあるにしても、再起の望みは断たれ、一生を植物人間として過さなければなれません。大変不幸なことです。しかし、予防の医薬品はないにしてもご安心ください。
『医薬』とはいえませんが、『脳卒中では絶対倒れない飲物』があります。
私はこの飲み物の医薬的成分を知らないし、文献もありませんが、数千人の人が試され、その多くが健在であり、健在であったという実験済みのものです。私はいまこそ勇気と自信をもっておすすめします。試みでなく本気でお飲みください。ただ一回だけの服用で一生を精一杯、生き抜いてくださることをお祈りします。合掌 (この文は、園長さんから頂いた資料のままです)
園長さんのお話
3年前にこの飲み物を、作って、当園50人のお年寄りに飲んで頂きましたが、その後、脳卒中は、1人もありません。信じる、信じないは、ご本人のお気持ちですが、飲んで害になる品物は入っていませんし、善意に解釈できる人はお試しになってはいかがでしょうか。
飲み物の作り方(1人分)
1.鶏卵 一個 卵白だけ使用 よく混ぜる
2.蕗(ふき)の葉の汁 小匙 3杯
ふきの葉20g(3〜4枚ぐらい)を細かくきざみ、すり鉢でよくすり潰
し、それを布に包んで絞るとよい。 注意:つはぶきは不可
3.清酒 (焼酎は不可) 小匙 3杯
4.梅漬 一個 種を除いてすり潰す(土用干しした梅干は不可)
以上4点のものを、必ず番号順に器に入れて、よく混ぜて作る。入れては、よく混ぜ、次のものを、入れては、混ぜること。普通のコップに半分くらいの汁ができます。
この飲み物は、一生に一度、飲むだけでよいので、早急にお試し下さい。
梅漬け:青梅をよく布で拭いて、十分の一量(重さ)の食塩で漬けたもの。
私がこの健康法を入手したのは、今から20年ほど前のことと記憶しています。どこから、誰から入手したのかは残念ながらよく覚えていません。私の母が高血圧であったために、どこかで手に入れたのだと思います。
そもそもこの「絶対に脳卒中で倒れない法」が広まった理由は、今から20年程前に福岡市の小学校校長会で紹介されたのが切っ掛けらしく、誰かが参考文書の内容を要約したということで、鹿児島県国分市の養護老人ホーム慶祥園で実施していて、国分市や隼人方面で大変な評判になっており、慶祥園では大勢の人がこれを用い、そのことごとくが脳卒中に患わなかったという結果が得られた、という内容で構成されています。
実際に、この健康法を有名な鍼灸学校や個人の鍼灸師が紹介しています。そこで、私は直接ここにある慶祥園に電話取材してみました。あいにく園長さんは外出中とのことで、寮母の仮屋園(かやぞの)さんが取材に応じてくれました。私の質問に対して、当初やや戸惑われていた仮屋園さんから興味深いお話をお聞きしましたのでここにご紹介します。
慶祥園には一年を通じて私と同じような問い合わせの電話が今でも数多く寄せられるとのことで、遠くは海外からもあるそうです。聞いて驚いたのは、この慶祥園の園長さんがこの健康法を発表したという事実はないらしく、かつてこの園に住むある方が個人的にこの方法を実行されたようだという話を聞いたことがあるとのことでした。
実際、方法論そのものにはカラダに悪い要素もないらしく、そのまま何の問題もなく今日を迎えたということです。しかし、仮屋園さん曰く、当園はこの件に関してまったく関与しておらず、責任もとれないということで、私がこの取材の内容を私の教室で公表したいという申し出に対しては逆に好意的に受け止めていただけました。以前も、また現在も、慶祥園でこの方法を試されている方は“仮屋園さんの知るかぎり”誰もいないということです。
世の中が健康ブームと言われて久しくなりますが、このような話は決して珍しいことではありません。私も足法という健康法の指導に従事する者の端くれとして、いろいろな健康法が世に広まること自体はとてもよいことだと思いますが、根拠と実態の伴わない幽霊話が横行することにはある種の不安と戸惑いを禁じえません。
私は、ここにある健康法を否定しているのではありません。ひょっとしたら大変素晴らしいものかもしれないのです。それだけに私は是非とも実績や経緯などを詳しく知りたかったのです。何れにしても、情報が錯綜する時代に生きる私たちは、自らの感じる力を最大限に活用して事に臨む必要があると強く実感しています。すべての責任の所在は、最終的には個人にあるということを決して忘れてはならないでしょう。
(2003年2月)
脳卒中で絶対に倒れない法
(鹿児島県国分市養護老人ホーム慶祥の資料より)
血圧は医薬品で簡単に下げることができますが、脳卒中で倒れない方法は、現代医学をもってしても、その予防法は、ないそうです。もし一度この発作にみまわれ、倒れたら軽重の差はあるにしても、再起の望みは断たれ、一生を植物人間として過さなければなれません。大変不幸なことです。しかし、予防の医薬品はないにしてもご安心ください。
『医薬』とはいえませんが、『脳卒中では絶対倒れない飲物』があります。
私はこの飲み物の医薬的成分を知らないし、文献もありませんが、数千人の人が試され、その多くが健在であり、健在であったという実験済みのものです。私はいまこそ勇気と自信をもっておすすめします。試みでなく本気でお飲みください。ただ一回だけの服用で一生を精一杯、生き抜いてくださることをお祈りします。合掌 (この文は、園長さんから頂いた資料のままです)
園長さんのお話
3年前にこの飲み物を、作って、当園50人のお年寄りに飲んで頂きましたが、その後、脳卒中は、1人もありません。信じる、信じないは、ご本人のお気持ちですが、飲んで害になる品物は入っていませんし、善意に解釈できる人はお試しになってはいかがでしょうか。
飲み物の作り方(1人分)
1.鶏卵 一個 卵白だけ使用 よく混ぜる
2.蕗(ふき)の葉の汁 小匙 3杯
ふきの葉20g(3〜4枚ぐらい)を細かくきざみ、すり鉢でよくすり潰
し、それを布に包んで絞るとよい。 注意:つはぶきは不可
3.清酒 (焼酎は不可) 小匙 3杯
4.梅漬 一個 種を除いてすり潰す(土用干しした梅干は不可)
以上4点のものを、必ず番号順に器に入れて、よく混ぜて作る。入れては、よく混ぜ、次のものを、入れては、混ぜること。普通のコップに半分くらいの汁ができます。
この飲み物は、一生に一度、飲むだけでよいので、早急にお試し下さい。
梅漬け:青梅をよく布で拭いて、十分の一量(重さ)の食塩で漬けたもの。
私がこの健康法を入手したのは、今から20年ほど前のことと記憶しています。どこから、誰から入手したのかは残念ながらよく覚えていません。私の母が高血圧であったために、どこかで手に入れたのだと思います。
そもそもこの「絶対に脳卒中で倒れない法」が広まった理由は、今から20年程前に福岡市の小学校校長会で紹介されたのが切っ掛けらしく、誰かが参考文書の内容を要約したということで、鹿児島県国分市の養護老人ホーム慶祥園で実施していて、国分市や隼人方面で大変な評判になっており、慶祥園では大勢の人がこれを用い、そのことごとくが脳卒中に患わなかったという結果が得られた、という内容で構成されています。
実際に、この健康法を有名な鍼灸学校や個人の鍼灸師が紹介しています。そこで、私は直接ここにある慶祥園に電話取材してみました。あいにく園長さんは外出中とのことで、寮母の仮屋園(かやぞの)さんが取材に応じてくれました。私の質問に対して、当初やや戸惑われていた仮屋園さんから興味深いお話をお聞きしましたのでここにご紹介します。
慶祥園には一年を通じて私と同じような問い合わせの電話が今でも数多く寄せられるとのことで、遠くは海外からもあるそうです。聞いて驚いたのは、この慶祥園の園長さんがこの健康法を発表したという事実はないらしく、かつてこの園に住むある方が個人的にこの方法を実行されたようだという話を聞いたことがあるとのことでした。
実際、方法論そのものにはカラダに悪い要素もないらしく、そのまま何の問題もなく今日を迎えたということです。しかし、仮屋園さん曰く、当園はこの件に関してまったく関与しておらず、責任もとれないということで、私がこの取材の内容を私の教室で公表したいという申し出に対しては逆に好意的に受け止めていただけました。以前も、また現在も、慶祥園でこの方法を試されている方は“仮屋園さんの知るかぎり”誰もいないということです。
世の中が健康ブームと言われて久しくなりますが、このような話は決して珍しいことではありません。私も足法という健康法の指導に従事する者の端くれとして、いろいろな健康法が世に広まること自体はとてもよいことだと思いますが、根拠と実態の伴わない幽霊話が横行することにはある種の不安と戸惑いを禁じえません。
私は、ここにある健康法を否定しているのではありません。ひょっとしたら大変素晴らしいものかもしれないのです。それだけに私は是非とも実績や経緯などを詳しく知りたかったのです。何れにしても、情報が錯綜する時代に生きる私たちは、自らの感じる力を最大限に活用して事に臨む必要があると強く実感しています。すべての責任の所在は、最終的には個人にあるということを決して忘れてはならないでしょう。
(2003年2月)
地上の星
昨年の紅白で中島みゆきの歌った「地上の星」が、発売から3年を経てオリコンヒットチャートの第一位になったことをニュースで知った。私はこの楽曲をNHKの“プロジェクトX”という番組で初めて聴いた。中島みゆきの歌とは「時代」から始まってもう20年以上の付き合いがあるが、彼女の詞と曲は私の人生の折々に心に揺さぶりをもたらした。改めて「地上の星」の詞を書きだしてみたい。
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った
見送られることもなく
草原のペガサス
街角のビーナス
みんな何処へ行った
見守られることもなく
地上にある星は誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から
教えてよ地上の星を
つばめよ地上の星は
今何処にあるのだろぅ
崖の上のジュピター
水底のシリウス
みんな何処へ行った
見守られることもなく
名だたるものを追って
輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
この歌を聞きながら、私は今という時代を改めて見回してみた。ニュースは連日のように凶悪犯罪や若者の暴力、公僕たちの不正や芸能スキャンダルを映し出す。それが時代柄、まるで常識であるかのような錯覚を見る者に与える。そして、ノーベル賞に選ばれた一人の無名なサラリーマンを、まるでアイドル並に追い掛け回し、無理矢理に英雄へと祭り上げていく。
一人の犯罪者をマスコミが一方的な視点で断罪するのと同じ手法で、一人のヒーローが仕立て上げられていく様に、そして、その報道にまるで我が事のように振り回される庶民の姿に、現代人の心の貧しさを感じずにはいられない。
私たちは今、心の在り方を見失ってしまったのだろうか。人間とは、醜くもあり美しくもある。弱くもあり強くもある。その証拠は私たちの身の回りに散在しているではないか。私たち人間は、間違っても画一的ではないのだ。
ところが、小学校に入ると同時にまるでクローン的な教育システムに子供たちを押し込め、大人たちが決めた“よい子”の価値観ですべてを評価しようとする。
そしてその子供たちが成長すると、その多くは世の常識から外れることを恐れ、人間にとって最も大切な創造性の欠片もない、かつての大人たちと同じ轍を踏み続ける。そんな大人たちが繰返し新たな社会人に対して、独創性や個性を求めるという茶番を私たちはいったいあと何年見続けることになるのだろうか。
渋谷でたむろっているヤンキーにも、新宿の浮浪者にも、組織の片隅に追いやられたオヤジにも、そして夫や子供たちのためだけに生きている普通の主婦の中にも、天才や哲学者、或いは傑物はいるのだ。
木下藤吉郎が現代に生きていたら、定年離婚の憂き目に遭うような、しょぼくれた男で終わっていたかもしれない。アインシュタインが今の日本に生まれていたら、おそらくいの一番に落ちこぼれの烙印を押されただろう。
これは私の勝手な想像であるが、あの田中さんが、もしもノーベル賞を受賞しなかったら、島津製作所は彼をいち役員にもしなかったのではないか。そんな思いを抱いてしまうほど、彼の受賞に対する会社側の対応は、すべてに渡って後手後手に映って見えた。
W・ブレイクの詩に次のようなものがある。
一粒の砂に世界を 野の一輪の花に天を見たいのなら
掌に無限を 一瞬に永遠をつかみなさい
この意味を私ふうに解釈すると、私たちが見たいときには目を閉じ、聞きたいときには耳を塞いでこそ、真の姿が現前するということ。現象に振り回されて真理を見失ってはならない。情報はひとつの価値観であって決して真実そのものではない。心の目、心の耳を通さなければ“地上の星”を発見することはなかなか難しい。
プロジェクトXを見て涙する老若男女は少なくないと聞く。もしそれが単なる現象ではなく人間性回復の兆しであるとすれば、この国の将来も捨てたものではないと思うのだが。
(2003年1月)
風の中のすばる
砂の中の銀河
みんな何処へ行った
見送られることもなく
草原のペガサス
街角のビーナス
みんな何処へ行った
見守られることもなく
地上にある星は誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ高い空から
教えてよ地上の星を
つばめよ地上の星は
今何処にあるのだろぅ
崖の上のジュピター
水底のシリウス
みんな何処へ行った
見守られることもなく
名だたるものを追って
輝くものを追って
人は氷ばかり掴む
この歌を聞きながら、私は今という時代を改めて見回してみた。ニュースは連日のように凶悪犯罪や若者の暴力、公僕たちの不正や芸能スキャンダルを映し出す。それが時代柄、まるで常識であるかのような錯覚を見る者に与える。そして、ノーベル賞に選ばれた一人の無名なサラリーマンを、まるでアイドル並に追い掛け回し、無理矢理に英雄へと祭り上げていく。
一人の犯罪者をマスコミが一方的な視点で断罪するのと同じ手法で、一人のヒーローが仕立て上げられていく様に、そして、その報道にまるで我が事のように振り回される庶民の姿に、現代人の心の貧しさを感じずにはいられない。
私たちは今、心の在り方を見失ってしまったのだろうか。人間とは、醜くもあり美しくもある。弱くもあり強くもある。その証拠は私たちの身の回りに散在しているではないか。私たち人間は、間違っても画一的ではないのだ。
ところが、小学校に入ると同時にまるでクローン的な教育システムに子供たちを押し込め、大人たちが決めた“よい子”の価値観ですべてを評価しようとする。
そしてその子供たちが成長すると、その多くは世の常識から外れることを恐れ、人間にとって最も大切な創造性の欠片もない、かつての大人たちと同じ轍を踏み続ける。そんな大人たちが繰返し新たな社会人に対して、独創性や個性を求めるという茶番を私たちはいったいあと何年見続けることになるのだろうか。
渋谷でたむろっているヤンキーにも、新宿の浮浪者にも、組織の片隅に追いやられたオヤジにも、そして夫や子供たちのためだけに生きている普通の主婦の中にも、天才や哲学者、或いは傑物はいるのだ。
木下藤吉郎が現代に生きていたら、定年離婚の憂き目に遭うような、しょぼくれた男で終わっていたかもしれない。アインシュタインが今の日本に生まれていたら、おそらくいの一番に落ちこぼれの烙印を押されただろう。
これは私の勝手な想像であるが、あの田中さんが、もしもノーベル賞を受賞しなかったら、島津製作所は彼をいち役員にもしなかったのではないか。そんな思いを抱いてしまうほど、彼の受賞に対する会社側の対応は、すべてに渡って後手後手に映って見えた。
W・ブレイクの詩に次のようなものがある。
一粒の砂に世界を 野の一輪の花に天を見たいのなら
掌に無限を 一瞬に永遠をつかみなさい
この意味を私ふうに解釈すると、私たちが見たいときには目を閉じ、聞きたいときには耳を塞いでこそ、真の姿が現前するということ。現象に振り回されて真理を見失ってはならない。情報はひとつの価値観であって決して真実そのものではない。心の目、心の耳を通さなければ“地上の星”を発見することはなかなか難しい。
プロジェクトXを見て涙する老若男女は少なくないと聞く。もしそれが単なる現象ではなく人間性回復の兆しであるとすれば、この国の将来も捨てたものではないと思うのだが。
(2003年1月)
五右衛門君からの学び
2003年も当然の如く、明ければ過ぎゆく習わし通り18日を数えます。みなさんは、どのようなスタートを切られたことでしょうか。
私はと云いますと、1月6日に義父が亡くなりまして、私の家内が男なしの長女ということもあり、その助っ人に数日間バタバタとした日々を過ごしました。
8日に谷中の常在寺という日蓮宗のお寺で葬儀を行いましたが、そのときのエピソードをひとつ。と申しましても、葬儀のことではありません。家内の妹の長男(中学受験を目前に控えた)のことなのです。
この少年、常日頃から非常に元気が良いと云えば体裁はいいのですが、実は母親の言うことを聞かず、いつも暴れ放題にとっ散らかっているような子なのです。
この日も予想通り、母親や祖母、はたまた私の家内の言いつけなどどこ吹く風、シンと静まり返った寺に到着するなり、弟・妹にちょっかいを出し、その行為はどんどんエスカレートし、やがて襖をも破くかの大音響が境内に鳴り響いたのを聞いてついに母親は堪忍袋の緒が切れたのでしょう。スッと私たちの前から消えました。
やがて日蓮をも脅かすかの悪魔の宴は鳴りを潜めました。5分、そして10分、弟と妹はニコニコ顔で行き来するのですが、いっこうに主役の姿は見えない。
そこで私は厠に立つ振りをして隣の広間を覗いてみますと、まるで牢獄にぶち込まれた石川五右衛門のごとく胡座をかいたまま、青白い顏で俯いています。その横顔にかつての私自身を見る思いが⋯。
この話に必要な補足説明を加えますが、彼の弟は大変な秀才で、神戸では有名なH学園という進学塾のトップグループにいます。嘗てはこの五右衛門君もそこで将来(?)の地盤を固めるべく勉学に勤しんでいたのですが、聞くところによると日を追うごとに成績は落ち、やがて在籍するのも難しくなり、いまでは家庭教師をつけて中学進学を目指しているとのことであります。
もちろん義妹夫婦の気持ちも昨今の公立中学の荒れようを思えば分からぬではありません。親心でありましょう。我が腹を痛めて生んだ子であります。誰彼へだてなくみな可愛いに違いないのですが、可愛さ余ってついつい厳しくなるということは、どこの家庭でもよくあることです。
そんなとき、たまたま他の兄弟姉妹たちが良くできたりすると、どうしても一人浮き上がってしまったりするものです。この五右衛門君も、私の目から見てどうもそんな感じに映ったのであります。
そこで話を元に戻しますが、シュン太郎を決め込んでいる彼に話しかけてみました。
「どうした、元気がないじゃないか」
「・・・」
チラッと私を見たまま無視。「そうきたか」というわけで、この手のガキ、元へ、子供を得意とする私は作戦を変えまして、彼の好きな野球の話に振ってみたのであります。
「野球やってるか?」
おやっ、という顏で私を見上げた彼は少し考えてから「うん」と答えました。
(しめしめ⋯)「おまえどこ守ってんだ」
「⋯外野」
「打順は何番なんだよ」
「⋯三番」
「へーっ、スラッガーなんだ」
この言葉に心をくすぐられたようでありまして、所詮はガキ(元へ)子供、褒められるとすぐに目の色が変わるものであります。
「おまえどこのファンなんだ」
「べつにない」
「ノリ(近鉄の4番)のファンじゃなかったのか」
「うん、まあそうだけど⋯」
などとしばし野球談義を釣りエサに彼の體を観察しておりました。感じるものがありまして、この五右衛門君に「ちょっとなァ、おまえそこに立ってみろ」といって目の前に正対させまして、肩から腰、そして脚と注意深く観察してみました。
思った通り、小学6年生に相応しくない歪みがあります。そこで彼を伏臥、仰臥にしながら触れてみたのです。普通ならキァアキァア言ってくすぐったがるものなのですが、私が触れても静かにしています。
「くすぐったくないか?」と聞いても「うん」と答えます。
私は彼の體にくまなく触れてみて驚きました。脊柱の彎曲、骨盤の歪み、そして恐ろしいまでの筋肉硬直。脊柱の左右の筋肉がアンバランスに硬直し、また股関節も弾力を失っております。
ガッセキをさせて前屈させようとしても、この歳にしては考えられないほど左の股関節が硬くて開きません。本人も痛がります。
そこで約30分間、股関節と背中の筋肉を弛める施術を行いました。この歳の子は基本的に肉体的なポテンシャルが高いということもあり、弛むのも早いものがあります。
当初は「痛い、痛い」と云っていたのに、全体が弛むに連れて、大きく前屈もできるようになりました。
「おい、すごいじゃないか」と言いますと、
おもしろいもので、彼の表情が前にも益して明るくなります。この五右衛門君は、人一倍感受性の強い子なのでしょう。そのことが彼の體に触れてよく分かりました。このようなタイプの子供は、親のちょっとした態度や言動を敏感に受取り、悪くするとそれが大きなストレスになってしまうのです。しかも、それがトラウマにまで至ってしまうことも決して少なくありません。
彼と弟は一才違いで、弟は出産時に肩関節を脱臼し、しばらく大変な時期が続いたこともあって、その後も母親の目がどうしても弟の方へ向きがちであったのでしょう。五右衛門君からすると、母親を弟にとられた気分になったことは容易に想像できます。
そうした日々の積み重ねが今日の彼の性格形成に大きく影響していることは、私のこれまでの学びの中で理解できることなのです。
しかしながら、彼は母親が好きで、日頃から将来は僕がこうしてお母さんを幸せにしてあげるんだ、などと可愛いことも申している様子などから察しますと、やはり彼は母親とのスキンシップを心の底で渇望しているに違いありません。
私がお寺で彼とそんな交流があったことを具体的に知らなかった周りの人たちですが、帰宅してから妻が「敏くんの顔つきがなんか変わった」と言っていたことを考えますと、これは子供に限らず、人間はみな誰かに温かく見つめられ、ときには触れ合うことがいかに大切であるかを思い知らされます。
葬儀の翌日、神戸に帰る彼を訪れ、私はある品物をプレゼントしました。それは私が今から20年近く前に手に入れたバット。現巨人軍監督の原氏が当時使用していたものと同じモデルの硬式バットです。このバットには「シリアルNo.002」グリップの裏には「G8」と刻印されたもので、今では絶対といっていいほど手に入らない貴重品です。幸い私はこのバットを殆ど使わずに保管しており、極めて良好な状態にあったものです。
彼に手渡すときに、このバットを心から欲しいと思うかどうか、そして、そうでなければ渡さないよ、と言いました。すると彼は「すごく欲しい」と言いました。そこで私はひとつだけ約束して欲しいと彼に伝えました。それは、「かならず毎日100スイングすること。そしてバットを大切に扱うこと」。彼は珍しくキリッとした顏で頷き嬉しそうにバットを握りしめました。
その後、私が嘗て教えられた通りに彼にバットスイングを教えたのですが、無心にバットを振る彼の表情は、寺の広間でひとりシュン太郎を決め込んでいたときとは別人のようでした。
私も子供の頃は落ち着きがなく、よくできる姉に反発して親をいつも困らせていたものです。小学校3年生の通信簿には「万事不熱心」などという親が卒倒するような評価を頂戴したりして、それこそできの悪いガキの見本みたいなものだったのです。私の姉は「あの時のあなたを見ていて、将来とてもまともな人間になるとは思わなかった」と今でも申します。この五右衛門君などは当時の私なんかと比較しますと、まだまだ良い子の許容範囲に十分はいるのであります。
そんな私が何がキッカケで娑婆で暮らせるような人間になったかはまた別の機会があればお話するとして、人間は抱きしめられた数だけ、見つめられた数だけ、活き活きとするものであります。人を見返してやりたいという思いも、結局は注目してほしいからであり、認めてもらいたいからであります。
たった二日の間に、五右衛門君の表情はかくも変わりました。相手が無邪気な子供であったこともその要因のひとつではありますが、私たち人間はみな、すべからくその素質を有していることは明らかなのです。
昨今の政治家や官僚を筆頭とした数々の不祥事を見るにつけ、その成長の過程がいかなるものであったかが容易に想像できます。
大人になると親のような眼差しで導いてくれる人は少なくなります。しかし、自らの成長、自己改革に対する興味と発心があれば、機会は自ずと現われるものであります。その一助・一機会に足法自然塾がなれましたら、そこはかとなく幸せであります。
私の2003年は、この五右衛門君からの学びで始まりました。感謝です。
(2003年1月)
私はと云いますと、1月6日に義父が亡くなりまして、私の家内が男なしの長女ということもあり、その助っ人に数日間バタバタとした日々を過ごしました。
8日に谷中の常在寺という日蓮宗のお寺で葬儀を行いましたが、そのときのエピソードをひとつ。と申しましても、葬儀のことではありません。家内の妹の長男(中学受験を目前に控えた)のことなのです。
この少年、常日頃から非常に元気が良いと云えば体裁はいいのですが、実は母親の言うことを聞かず、いつも暴れ放題にとっ散らかっているような子なのです。
この日も予想通り、母親や祖母、はたまた私の家内の言いつけなどどこ吹く風、シンと静まり返った寺に到着するなり、弟・妹にちょっかいを出し、その行為はどんどんエスカレートし、やがて襖をも破くかの大音響が境内に鳴り響いたのを聞いてついに母親は堪忍袋の緒が切れたのでしょう。スッと私たちの前から消えました。
やがて日蓮をも脅かすかの悪魔の宴は鳴りを潜めました。5分、そして10分、弟と妹はニコニコ顔で行き来するのですが、いっこうに主役の姿は見えない。
そこで私は厠に立つ振りをして隣の広間を覗いてみますと、まるで牢獄にぶち込まれた石川五右衛門のごとく胡座をかいたまま、青白い顏で俯いています。その横顔にかつての私自身を見る思いが⋯。
この話に必要な補足説明を加えますが、彼の弟は大変な秀才で、神戸では有名なH学園という進学塾のトップグループにいます。嘗てはこの五右衛門君もそこで将来(?)の地盤を固めるべく勉学に勤しんでいたのですが、聞くところによると日を追うごとに成績は落ち、やがて在籍するのも難しくなり、いまでは家庭教師をつけて中学進学を目指しているとのことであります。
もちろん義妹夫婦の気持ちも昨今の公立中学の荒れようを思えば分からぬではありません。親心でありましょう。我が腹を痛めて生んだ子であります。誰彼へだてなくみな可愛いに違いないのですが、可愛さ余ってついつい厳しくなるということは、どこの家庭でもよくあることです。
そんなとき、たまたま他の兄弟姉妹たちが良くできたりすると、どうしても一人浮き上がってしまったりするものです。この五右衛門君も、私の目から見てどうもそんな感じに映ったのであります。
そこで話を元に戻しますが、シュン太郎を決め込んでいる彼に話しかけてみました。
「どうした、元気がないじゃないか」
「・・・」
チラッと私を見たまま無視。「そうきたか」というわけで、この手のガキ、元へ、子供を得意とする私は作戦を変えまして、彼の好きな野球の話に振ってみたのであります。
「野球やってるか?」
おやっ、という顏で私を見上げた彼は少し考えてから「うん」と答えました。
(しめしめ⋯)「おまえどこ守ってんだ」
「⋯外野」
「打順は何番なんだよ」
「⋯三番」
「へーっ、スラッガーなんだ」
この言葉に心をくすぐられたようでありまして、所詮はガキ(元へ)子供、褒められるとすぐに目の色が変わるものであります。
「おまえどこのファンなんだ」
「べつにない」
「ノリ(近鉄の4番)のファンじゃなかったのか」
「うん、まあそうだけど⋯」
などとしばし野球談義を釣りエサに彼の體を観察しておりました。感じるものがありまして、この五右衛門君に「ちょっとなァ、おまえそこに立ってみろ」といって目の前に正対させまして、肩から腰、そして脚と注意深く観察してみました。
思った通り、小学6年生に相応しくない歪みがあります。そこで彼を伏臥、仰臥にしながら触れてみたのです。普通ならキァアキァア言ってくすぐったがるものなのですが、私が触れても静かにしています。
「くすぐったくないか?」と聞いても「うん」と答えます。
私は彼の體にくまなく触れてみて驚きました。脊柱の彎曲、骨盤の歪み、そして恐ろしいまでの筋肉硬直。脊柱の左右の筋肉がアンバランスに硬直し、また股関節も弾力を失っております。
ガッセキをさせて前屈させようとしても、この歳にしては考えられないほど左の股関節が硬くて開きません。本人も痛がります。
そこで約30分間、股関節と背中の筋肉を弛める施術を行いました。この歳の子は基本的に肉体的なポテンシャルが高いということもあり、弛むのも早いものがあります。
当初は「痛い、痛い」と云っていたのに、全体が弛むに連れて、大きく前屈もできるようになりました。
「おい、すごいじゃないか」と言いますと、
おもしろいもので、彼の表情が前にも益して明るくなります。この五右衛門君は、人一倍感受性の強い子なのでしょう。そのことが彼の體に触れてよく分かりました。このようなタイプの子供は、親のちょっとした態度や言動を敏感に受取り、悪くするとそれが大きなストレスになってしまうのです。しかも、それがトラウマにまで至ってしまうことも決して少なくありません。
彼と弟は一才違いで、弟は出産時に肩関節を脱臼し、しばらく大変な時期が続いたこともあって、その後も母親の目がどうしても弟の方へ向きがちであったのでしょう。五右衛門君からすると、母親を弟にとられた気分になったことは容易に想像できます。
そうした日々の積み重ねが今日の彼の性格形成に大きく影響していることは、私のこれまでの学びの中で理解できることなのです。
しかしながら、彼は母親が好きで、日頃から将来は僕がこうしてお母さんを幸せにしてあげるんだ、などと可愛いことも申している様子などから察しますと、やはり彼は母親とのスキンシップを心の底で渇望しているに違いありません。
私がお寺で彼とそんな交流があったことを具体的に知らなかった周りの人たちですが、帰宅してから妻が「敏くんの顔つきがなんか変わった」と言っていたことを考えますと、これは子供に限らず、人間はみな誰かに温かく見つめられ、ときには触れ合うことがいかに大切であるかを思い知らされます。
葬儀の翌日、神戸に帰る彼を訪れ、私はある品物をプレゼントしました。それは私が今から20年近く前に手に入れたバット。現巨人軍監督の原氏が当時使用していたものと同じモデルの硬式バットです。このバットには「シリアルNo.002」グリップの裏には「G8」と刻印されたもので、今では絶対といっていいほど手に入らない貴重品です。幸い私はこのバットを殆ど使わずに保管しており、極めて良好な状態にあったものです。
彼に手渡すときに、このバットを心から欲しいと思うかどうか、そして、そうでなければ渡さないよ、と言いました。すると彼は「すごく欲しい」と言いました。そこで私はひとつだけ約束して欲しいと彼に伝えました。それは、「かならず毎日100スイングすること。そしてバットを大切に扱うこと」。彼は珍しくキリッとした顏で頷き嬉しそうにバットを握りしめました。
その後、私が嘗て教えられた通りに彼にバットスイングを教えたのですが、無心にバットを振る彼の表情は、寺の広間でひとりシュン太郎を決め込んでいたときとは別人のようでした。
私も子供の頃は落ち着きがなく、よくできる姉に反発して親をいつも困らせていたものです。小学校3年生の通信簿には「万事不熱心」などという親が卒倒するような評価を頂戴したりして、それこそできの悪いガキの見本みたいなものだったのです。私の姉は「あの時のあなたを見ていて、将来とてもまともな人間になるとは思わなかった」と今でも申します。この五右衛門君などは当時の私なんかと比較しますと、まだまだ良い子の許容範囲に十分はいるのであります。
そんな私が何がキッカケで娑婆で暮らせるような人間になったかはまた別の機会があればお話するとして、人間は抱きしめられた数だけ、見つめられた数だけ、活き活きとするものであります。人を見返してやりたいという思いも、結局は注目してほしいからであり、認めてもらいたいからであります。
たった二日の間に、五右衛門君の表情はかくも変わりました。相手が無邪気な子供であったこともその要因のひとつではありますが、私たち人間はみな、すべからくその素質を有していることは明らかなのです。
昨今の政治家や官僚を筆頭とした数々の不祥事を見るにつけ、その成長の過程がいかなるものであったかが容易に想像できます。
大人になると親のような眼差しで導いてくれる人は少なくなります。しかし、自らの成長、自己改革に対する興味と発心があれば、機会は自ずと現われるものであります。その一助・一機会に足法自然塾がなれましたら、そこはかとなく幸せであります。
私の2003年は、この五右衛門君からの学びで始まりました。感謝です。
(2003年1月)
2009年7月26日日曜日
すでにある幸せ
2002年も残すところあと僅かとなりました。みなさんはこの一年をどのようにお過ごしになりましたか。満足のいく一年でしたでしょうか、それとも後悔を残した一年でしたでしょうか。
私にとりましては、悲喜交々いろいろありましたが、日々を楽しくという普段の思いを大切にできた一年だったと感じています。もちろん思うようにならないこともありましたが、そんな時にも、次につながるヒントが得られたと喜んでいます。
ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さんの著書「愛をこめて生きる」のなかに次のよう一節があります。
『このかけがいのない一日を、不平や不満で埋めるのではなく、ありがたいものとして生きるとき、そこには、ささやかな幸せが生まれてくる。そのためには、自分の身のまわりに既にある“有り難いもの”に気づいて生きたい。日の出にも日の入りにも、中天にかかる月にも星空にも、さえずる小鳥にも一本の草花にも、感謝して生きたいものである。何十年に一度しか現われない星には大騒ぎしても、毎夜またたく星空には感激するどころか、いっこうに見上げようともしない、そんな心に私たちはいつしかなってしまった』
私のまわりには不平・不満を抱える人たちがたくさんいます。かく言う私もかつてはその一人でしたし、今でも時として頭を過ることがありますが、その留まる時間は以前に比べて驚くほど短くなりました。人間の一生を考えたとき、そのようなものに関わっている時間がもったいないと思うからです。
私はいま置かれている自らの立場の関係で、いろいろな方とお話する機会があります。病気の相談だけでなく、他の悩みをお聞きすることもあります。そのひとつひとつが各人にとっては切実であり、改善を心から願っていることが伝わってきます。
そうした方々に対して、私はただただ拝聴することしかできないのですが、ひとつだけ必ず申し上げることがあります。それは「問題の原因を相手だけに押し付けていては答えは出ない」ということです。
その反応には概ね二種類あり、「そんなこと分かってる」というものと、「え、何で私がっ!」というものです。この二つの反応、一見異なっているように見えますが、自分自身を問題の主人公に据えていないということに於て、実は同じなのです。
世の中には一個人の責任とはまったく無関係な出来事もあります。しかし、私が目にするケースの殆どは「私と誰か、私と何か」の関係から生まれた問題なのです。
問題の原因の主人公を自分にすることは決して容易なことではありません。しかし、相手にだけ押し付けていても解決は得られません。私にも非はあるかもしれない、でも相手の方がもっと悪いと思えるときにこそ、まず自分自身を省み、その中から僅かでも自らの至らなさを発見できたとき、その私は本当の意味で問題解決の糸口を発見できたのだと思いますし、“有り難いもの”に気付く心を宿す準備ができたのだと思います。
渡辺さんはこう続けています——『盗っ人にも、火事にも奪われ失われる心配のない宝、他人のそれと比べる必要のない自分固有の宝、平凡な生活の中で光彩を放つ宝、それは、当り前を輝いて見える、自分の“まなざし”であり、すべてを有り難いものとしていただく自分の“心”であろう。人間の幸せは、結局、その人の生活の中に愛するものがあるか否か、宝とするものがあるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。真の愛とは、誰もが愛せるものを愛することではなくて、誰からも顧みられない、価値なきかに思えるものに注がれる愛である』と。
私の父が亡くなる一年ほど前、私はこんな質問をしました。「お父さん、ここまで生きてきて、いまこうした生活の中でどんな心境ですか」と。この質問にたいして父は、「雨風しのげて、三食いただけて、なんの不満があるか」という短い言葉を吐きながら、その目がとても澄んでいたのをよく覚えています。
会社という組織を飛び出し足掛け5年になろとするいま、両親から数えきれないほど与えていただいた示唆のなかでも、この父の言葉は、とりわけ大きな輝を放ちながらいまの私に迫ってきます。
傷つき、苦しみ、泣きながら、その中に捨てる勇気を持てたとき、私たちは初めて“有り難いもの”“すでにある幸せ”に心が向けられるのかもしれません。
2003年、みなさんが“すでにある幸せ”に包まれますよう、心よりお祈り致します。今年一年、ありがとうございました。
2002年12月
私にとりましては、悲喜交々いろいろありましたが、日々を楽しくという普段の思いを大切にできた一年だったと感じています。もちろん思うようにならないこともありましたが、そんな時にも、次につながるヒントが得られたと喜んでいます。
ノートルダム清心学園理事長・渡辺和子さんの著書「愛をこめて生きる」のなかに次のよう一節があります。
『このかけがいのない一日を、不平や不満で埋めるのではなく、ありがたいものとして生きるとき、そこには、ささやかな幸せが生まれてくる。そのためには、自分の身のまわりに既にある“有り難いもの”に気づいて生きたい。日の出にも日の入りにも、中天にかかる月にも星空にも、さえずる小鳥にも一本の草花にも、感謝して生きたいものである。何十年に一度しか現われない星には大騒ぎしても、毎夜またたく星空には感激するどころか、いっこうに見上げようともしない、そんな心に私たちはいつしかなってしまった』
私のまわりには不平・不満を抱える人たちがたくさんいます。かく言う私もかつてはその一人でしたし、今でも時として頭を過ることがありますが、その留まる時間は以前に比べて驚くほど短くなりました。人間の一生を考えたとき、そのようなものに関わっている時間がもったいないと思うからです。
私はいま置かれている自らの立場の関係で、いろいろな方とお話する機会があります。病気の相談だけでなく、他の悩みをお聞きすることもあります。そのひとつひとつが各人にとっては切実であり、改善を心から願っていることが伝わってきます。
そうした方々に対して、私はただただ拝聴することしかできないのですが、ひとつだけ必ず申し上げることがあります。それは「問題の原因を相手だけに押し付けていては答えは出ない」ということです。
その反応には概ね二種類あり、「そんなこと分かってる」というものと、「え、何で私がっ!」というものです。この二つの反応、一見異なっているように見えますが、自分自身を問題の主人公に据えていないということに於て、実は同じなのです。
世の中には一個人の責任とはまったく無関係な出来事もあります。しかし、私が目にするケースの殆どは「私と誰か、私と何か」の関係から生まれた問題なのです。
問題の原因の主人公を自分にすることは決して容易なことではありません。しかし、相手にだけ押し付けていても解決は得られません。私にも非はあるかもしれない、でも相手の方がもっと悪いと思えるときにこそ、まず自分自身を省み、その中から僅かでも自らの至らなさを発見できたとき、その私は本当の意味で問題解決の糸口を発見できたのだと思いますし、“有り難いもの”に気付く心を宿す準備ができたのだと思います。
渡辺さんはこう続けています——『盗っ人にも、火事にも奪われ失われる心配のない宝、他人のそれと比べる必要のない自分固有の宝、平凡な生活の中で光彩を放つ宝、それは、当り前を輝いて見える、自分の“まなざし”であり、すべてを有り難いものとしていただく自分の“心”であろう。人間の幸せは、結局、その人の生活の中に愛するものがあるか否か、宝とするものがあるかどうかにかかっていると言っても過言ではない。真の愛とは、誰もが愛せるものを愛することではなくて、誰からも顧みられない、価値なきかに思えるものに注がれる愛である』と。
私の父が亡くなる一年ほど前、私はこんな質問をしました。「お父さん、ここまで生きてきて、いまこうした生活の中でどんな心境ですか」と。この質問にたいして父は、「雨風しのげて、三食いただけて、なんの不満があるか」という短い言葉を吐きながら、その目がとても澄んでいたのをよく覚えています。
会社という組織を飛び出し足掛け5年になろとするいま、両親から数えきれないほど与えていただいた示唆のなかでも、この父の言葉は、とりわけ大きな輝を放ちながらいまの私に迫ってきます。
傷つき、苦しみ、泣きながら、その中に捨てる勇気を持てたとき、私たちは初めて“有り難いもの”“すでにある幸せ”に心が向けられるのかもしれません。
2003年、みなさんが“すでにある幸せ”に包まれますよう、心よりお祈り致します。今年一年、ありがとうございました。
2002年12月
主に明け渡したとき、病がいやされた
横浜の延川さんは、太平洋戦争中、ニューギニヤ西部のマノクワリにいた。多くの兵士が、激戦と食糧不足、また過労に倒れ、マラリヤの高熱に苦しんだ。
延川さんも、この苦しみの中で、それまで持っていた信仰を捨てた。彼は思った。「神もへちまもあるものか。どうにでもなれ。物質こそすべてだ。米軍を見ろ。あれだけの物量があるからこそ勝てるのだ。これからは唯物主義だ」。
それまで真面目だった彼なのに、以来、部隊の食糧を盗んだり、酒・タバコをやるようになった。みんなから悪く言われるようになった。しかし彼は信仰放棄後、ますます健康を害し、悪性の吹き出物が全身にできるようになった。熱帯潰瘍と言われるものである。また、彼のマラリヤは慢性になった。二週間たって、彼の命は今日か明日までと思われるほどになっていた。
その病床で、彼の魂の奥底に「絶えず祈れ」との御言葉が響いた。彼はハッと我にかえり、息の続く限り祈る決心をした。体力は消耗の極に達している。しかし不思議に、祈ることだけはできた。今までの不信仰、神への忘恩、そのほか数々の自分の罪が、ありありと心の中に示された。彼は祈った。「神よ、赦したまえ。もし生きることが許されるなら、今度こそ、本当にあなたのために生きます」。
彼の心の中に、恵み深い神が宿られた。その時からのことである。彼は相次いで排尿をし、それとともに全身の吹き出物がひき始めた。 一夜にして、吹き出物は完全になくなってしまった。夜明けとともに、皆が驚きの目で見つめたのは言うまでもない。それから二カ月ほどで、マラリヤも完全に癒された。医者は言った。「まったく奇跡だ」。
●
この文章はWeb中の「人生成功の秘訣」の中で紹介されたものです。私たちはこのような例をこれまでに耳にしたことがない人の方が少ないと思います。しかし、実感できる人もまた少ないのではないでしょうか。医者が言ったように「奇跡だ」で終わってしまいます。しかし、それは間違いです。私たちの思いは『神=大いなる力』と繋がっています。
私自身が27才のある秋の夜に、突然天空から降り注いできた光の矢によって救われた経験があります。また、29才の時には就寝したと同時「母が死ぬ」という天の声を聞きました。因に私は無宗教でしたし、また宗教や信仰に対する造詣もまったくありませんでした。しかし救われたのです。
両親の死後、私は日々祈るようになりました。にも関わらず、光は天空から降り注いではきません。その代わり、日々をよりよく生きるための直感力が向上しました。仕事を捨てたら足法がやってきたこともそのひとつなのでしょう。
祈り(=想い)は行動を生み、行動が習慣となり、習慣が人格を育て、人格が人生を実らせてくれます。人間、最後は祈りだ、ではなく、その究極の行動を日常にしましょう。そこに絶大な力が宿るのです。
2002年11月
延川さんも、この苦しみの中で、それまで持っていた信仰を捨てた。彼は思った。「神もへちまもあるものか。どうにでもなれ。物質こそすべてだ。米軍を見ろ。あれだけの物量があるからこそ勝てるのだ。これからは唯物主義だ」。
それまで真面目だった彼なのに、以来、部隊の食糧を盗んだり、酒・タバコをやるようになった。みんなから悪く言われるようになった。しかし彼は信仰放棄後、ますます健康を害し、悪性の吹き出物が全身にできるようになった。熱帯潰瘍と言われるものである。また、彼のマラリヤは慢性になった。二週間たって、彼の命は今日か明日までと思われるほどになっていた。
その病床で、彼の魂の奥底に「絶えず祈れ」との御言葉が響いた。彼はハッと我にかえり、息の続く限り祈る決心をした。体力は消耗の極に達している。しかし不思議に、祈ることだけはできた。今までの不信仰、神への忘恩、そのほか数々の自分の罪が、ありありと心の中に示された。彼は祈った。「神よ、赦したまえ。もし生きることが許されるなら、今度こそ、本当にあなたのために生きます」。
彼の心の中に、恵み深い神が宿られた。その時からのことである。彼は相次いで排尿をし、それとともに全身の吹き出物がひき始めた。 一夜にして、吹き出物は完全になくなってしまった。夜明けとともに、皆が驚きの目で見つめたのは言うまでもない。それから二カ月ほどで、マラリヤも完全に癒された。医者は言った。「まったく奇跡だ」。
●
この文章はWeb中の「人生成功の秘訣」の中で紹介されたものです。私たちはこのような例をこれまでに耳にしたことがない人の方が少ないと思います。しかし、実感できる人もまた少ないのではないでしょうか。医者が言ったように「奇跡だ」で終わってしまいます。しかし、それは間違いです。私たちの思いは『神=大いなる力』と繋がっています。
私自身が27才のある秋の夜に、突然天空から降り注いできた光の矢によって救われた経験があります。また、29才の時には就寝したと同時「母が死ぬ」という天の声を聞きました。因に私は無宗教でしたし、また宗教や信仰に対する造詣もまったくありませんでした。しかし救われたのです。
両親の死後、私は日々祈るようになりました。にも関わらず、光は天空から降り注いではきません。その代わり、日々をよりよく生きるための直感力が向上しました。仕事を捨てたら足法がやってきたこともそのひとつなのでしょう。
祈り(=想い)は行動を生み、行動が習慣となり、習慣が人格を育て、人格が人生を実らせてくれます。人間、最後は祈りだ、ではなく、その究極の行動を日常にしましょう。そこに絶大な力が宿るのです。
2002年11月
チャンスの女神
みなさんよくご存知の表現に「チャンスの女神に後ろ髪はない」というのがあります。チャンスって滅多に来ないのだから、目の前に来たらしっかり掴まえないと、通り過ぎた後に思い直して掴もうとしても、掴む後ろ髪はないと云うものですが、果たしてこれは本当でしょうか。
しかもこの表現、云う側は解りやすいと思って用いるのでしょうが、よくよく考えてみると、実は解ったようで解らない表現です。さらに脅迫的で、失敗は許されないぞッ、という恐さも感じます。にも関わらず、意外と解った気でいる人が多くはないでしょうか。
チャンスって本当に一度逃がしてしまったらもう二度と訪れないものなのでしょうか? これまでの人生で、あなたはそうでしたか? もしもこの人と結婚していなかったら⋯、あの時あの人の云うことを聞いていたら⋯、あの時あれをしていたら⋯etc、こんな苦労は、失敗はしなくて済んだかもしれない、と考えれば切りがないわけですが、私が思うに、その後もきっと何度も同じようなチャンスはあったはずなのです。と言うより、私たちはチャンスの中に埋まって生きていると思えてなりません。ただ、そのチャンスに気付かないだけではないかと。
白隠禅師の座禅和讃に「⋯衆生近きを知らずして、遠くを求むるはかなさよ。例えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず⋯」という一節があります。
私たちそのものが既に仏であるのに、そのことには誰も気が付かない。それはまるで、水の中にいて喉が渇いたと文句を言ったり、裕福な家に生まれたのに家を飛び出し貧乏に喘ぐ姿に等しい、という意味です。
常々、私はこの和讃を読みながら、いろんなチャンスの中に埋もれているのに、強く手を伸ばせば届くのに、いつも自分は不運だとか、ちっとも恵まれないとか、悪いことばかり起こるとか、そんな愚痴や文句ばかり言っている私たちの姿そのものを見る思いがしてならないのです。
私は近頃、誰彼なしに云うこと⋯。それは、既成概念を取っ払って、素の自分で感じ、その感じを通して世の中を見渡してみようと。世間体や常識と云ったものすべてを一度頭の中から追い出して、そして改めて自分の周りを見渡してみようと。
そんなこと難しくてできない、という人が大勢いますが、その難しいということもまた既成概念なんですね。
そこで私が実践している方法は、“自分”が何をしたら楽しいか、“自分”はどんなことにウキウキ・ワクワクするか、今現在、自分を取り巻くすべての条件を無視して心の赴くままに考えることです。ああだから出来ない、こうだから無理、そんなことは取り敢ず横に置いておいて、どんどんイメージを膨らませてみるのです。子供の頃の夢や希望に日々満ち溢れていたあの時の自分に帰って、あれこれ好きに思いを巡らします。
人間は、良くも悪くも同じようなことが3回起こるとパターン化され、感情・思考・行動に影響し、自らの人生脚本を作っていくと云われています。とくに悪いイメージはより強く潜在意識に働き掛けると云われています。
例えば両親の喧嘩の原因が自分だという思いが子供心にパターン化されますと、いつしか自分なんかいなくなればいいんだとか、自分は誰からも好かれていないんだ、という自分を作り上げます。本当はそうではないのに、一度潜在意識に擦り込まれたネガティヴパターンは運命そのものへ影響します。
恐いですね。だからこそ、私たちは既成概念を捨てて、素の自分を取り戻すことに意味があるのです。損か得かで動くことをなるべく少なくし、ウキウキ、ワクワク“自分”の心の欲する方向へ自然に一歩を踏み出してみる。するとある時、これまでは目に入らなかったステージの幕が突然上がり、そこにはチャンスの女神に手を携えられた自分の、いろんな可能性に満ち溢れ、人生を活き活きと生きている姿が映し出されているはずです。
チャンスは無限にあります。何度も訪れます。ところが、自我や既成概念に雁字搦めになって気付けないとしたら、一度限りの人生で、余りにも惜しいとは思いませんか。
2002年9月
しかもこの表現、云う側は解りやすいと思って用いるのでしょうが、よくよく考えてみると、実は解ったようで解らない表現です。さらに脅迫的で、失敗は許されないぞッ、という恐さも感じます。にも関わらず、意外と解った気でいる人が多くはないでしょうか。
チャンスって本当に一度逃がしてしまったらもう二度と訪れないものなのでしょうか? これまでの人生で、あなたはそうでしたか? もしもこの人と結婚していなかったら⋯、あの時あの人の云うことを聞いていたら⋯、あの時あれをしていたら⋯etc、こんな苦労は、失敗はしなくて済んだかもしれない、と考えれば切りがないわけですが、私が思うに、その後もきっと何度も同じようなチャンスはあったはずなのです。と言うより、私たちはチャンスの中に埋まって生きていると思えてなりません。ただ、そのチャンスに気付かないだけではないかと。
白隠禅師の座禅和讃に「⋯衆生近きを知らずして、遠くを求むるはかなさよ。例えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり。長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず⋯」という一節があります。
私たちそのものが既に仏であるのに、そのことには誰も気が付かない。それはまるで、水の中にいて喉が渇いたと文句を言ったり、裕福な家に生まれたのに家を飛び出し貧乏に喘ぐ姿に等しい、という意味です。
常々、私はこの和讃を読みながら、いろんなチャンスの中に埋もれているのに、強く手を伸ばせば届くのに、いつも自分は不運だとか、ちっとも恵まれないとか、悪いことばかり起こるとか、そんな愚痴や文句ばかり言っている私たちの姿そのものを見る思いがしてならないのです。
私は近頃、誰彼なしに云うこと⋯。それは、既成概念を取っ払って、素の自分で感じ、その感じを通して世の中を見渡してみようと。世間体や常識と云ったものすべてを一度頭の中から追い出して、そして改めて自分の周りを見渡してみようと。
そんなこと難しくてできない、という人が大勢いますが、その難しいということもまた既成概念なんですね。
そこで私が実践している方法は、“自分”が何をしたら楽しいか、“自分”はどんなことにウキウキ・ワクワクするか、今現在、自分を取り巻くすべての条件を無視して心の赴くままに考えることです。ああだから出来ない、こうだから無理、そんなことは取り敢ず横に置いておいて、どんどんイメージを膨らませてみるのです。子供の頃の夢や希望に日々満ち溢れていたあの時の自分に帰って、あれこれ好きに思いを巡らします。
人間は、良くも悪くも同じようなことが3回起こるとパターン化され、感情・思考・行動に影響し、自らの人生脚本を作っていくと云われています。とくに悪いイメージはより強く潜在意識に働き掛けると云われています。
例えば両親の喧嘩の原因が自分だという思いが子供心にパターン化されますと、いつしか自分なんかいなくなればいいんだとか、自分は誰からも好かれていないんだ、という自分を作り上げます。本当はそうではないのに、一度潜在意識に擦り込まれたネガティヴパターンは運命そのものへ影響します。
恐いですね。だからこそ、私たちは既成概念を捨てて、素の自分を取り戻すことに意味があるのです。損か得かで動くことをなるべく少なくし、ウキウキ、ワクワク“自分”の心の欲する方向へ自然に一歩を踏み出してみる。するとある時、これまでは目に入らなかったステージの幕が突然上がり、そこにはチャンスの女神に手を携えられた自分の、いろんな可能性に満ち溢れ、人生を活き活きと生きている姿が映し出されているはずです。
チャンスは無限にあります。何度も訪れます。ところが、自我や既成概念に雁字搦めになって気付けないとしたら、一度限りの人生で、余りにも惜しいとは思いませんか。
2002年9月
登録:
投稿 (Atom)